ブレイディみかこが振り返る、三年間のコロナ禍での日々「なんとかなると信じて、もがいていくしかない」
イギリスにもこんなふうに生きる人たちがいる
――お連合いが癌になったり、お母さまを亡くされたり、コロナ禍と並行してご自身のプライベートもかなり波乱万丈だったので、その率直な心情を読んで共感する『婦人公論』読者も多かったんじゃないかなと思いました。
ブレイディ:どうなんでしょう。大変でしたねとか、泣きましたとか、感想をいただくことはときどきありますが、あまり情緒的な文章を書くのに向いていないというか、もともとが政治時評などを書いてきた人間なので、さらっと書きすぎてしまうところがある。母の死についても、あまりに淡々と書いてしまったものだから、これじゃあ化けて出てくるかもしれないと思ってラストにエモーショナルなエピソードを付け加えましたけれど。
――お母さまを亡くしたあとの飛行機で、偶然、オーロラを観たというものですね。
ブレイディ:あれだけ、母に対する供養のような気持ちで書きました。まあ、オーロラも、隣に座っていたお兄さんがしつこく教えてくれなかったら、見逃していたんですけどね。こちらはセンチメンタルに泣いているのにうるさいな、って最初は思っていたけれど、オーロラだよって言われたとたん、ちゃっかり席を変わってもらって、しっかり見るという(笑)。オーロラなんていらない、って突っぱねて悲しみに浸るのも一つの選択肢だろうけれど、それはそれとして見ずにはおれない性格なのだろうな、と。
――その「それはそれ」という姿勢が、読んでいる人に力を与えてくれるような気もします。感情だけを優先するのではなく、目の前にあるものをちゃんと見て、考えるべきことをちゃんと考えて「今」をつくっていかなきゃいけないんだな、と。
ブレイディ:ありがとうございます。けっきょく人って、どこで生きていても、根本的にはあまり変わらない気がするんですよ。コロナ禍で抱いていた先の見えない不安も、それでもどうにか大切な人たちと生きたいという願いも、同じ。対処のしかたは、文化や国のしくみによって違うけど、なんとかなると信じて、もがいていくしかない。イギリスにもこんなふうに生きる人たちがいるんだな、とおもしろがりながら読んでいただけたら嬉しいですね。
――ちなみに本作には、お世話になった書店のひとつとして、閉店した書楽さんとのエピソードが登場します。街の本屋さんの減少は日本での深刻な問題ですが、イギリスはどうなのでしょう。
ブレイディ:イギリスのほうが日本よりも先に、街の本屋さんがなくなる流れが生まれていた気がしますね。いくつかあった書店チェーンが、すべてウォーターストーンズという最大手に吸収されていって、客入りの少ない支店も閉店して……。町から書店が本当に少なくなってしまったのですが、今、個人経営の書店が少しずつ増えてきているんですよ。店主のこだわりが感じられるセレクトショップみたいな書店ですね。
――日本も、最近は個人経営の書店が増えている気がしますね。
ブレイディ:やっぱり、本屋に行くことでしか得られない出会いを求めている人が少なからずいる、ということなんじゃないでしょうか。かつてのように、何百万部の大ベストセラーが頻発するような流れは難しいかもしれないけれど、紙の本はきっとなくならない、と私は思います。電力危機がこれほど叫ばれている昨今、電子機器にばかり頼っているのも危険ですしね。時代の流れにあわせた発展をしていくんじゃないでしょうか。阿佐ヶ谷の書楽さんも閉店してしまったけど、八重洲ブックセンターさんになりましたし、本屋さんの明かりはまだ灯っています。本という存在が何をもたらすのか、私も一人の書き手として、これからも考え続けて行きたいと思います。
■書籍情報
『転がる珠玉のように』
著者:ブレイディみかこ
発売日:2024年6月19日
出版社:中央公論新社