お笑い芸人で絵本作家・たなかひかるの新作『そそそそ』に込められた思い「どういう部分を面白がるかの余白を作っておきたい」
絵本には余白がいっぱいあった方がいい
――『すしん』に引き続き、本作にも“無意味を楽しむ絵本”というコピーがついていましたが、後半のキリンとコアラのやり取りなどは「何か深い意味があるのでは?」と考察したくなりました。何か意味が込められていたりは……?
たなか:いや、全くないです(笑)。むしろ制作の段階で変に意味が加わりそうになったら削っていました。
――そこまで無意味にこだわるのはなぜでしょうか?
たなか:僕は、絵本は楽しむ方向性を限定しすぎない方がいいと思っています。もちろん、いろんな本があっていいと思いますけどね。大人って子どもに対して、「ここがこういう風に面白いでしょ」って誘導したがるじゃないですか。僕も漫才やギャグ漫画を作るとき、「みんなはこういう風に思っているだろうから、それをこう裏切ろう」「このツッコミのセリフで面白がるんやで」みたいな誘導的な作り方をしていますし。
それ自体は悪いことじゃないけど、絵本が子どもたちの読み物だと考えると、どう見るか、どう楽しむかっていう余白はいっぱいあった方がいい。最初読んだときは何がなんだかよくわからなくても、もう一回読んだら面白いところを見つけられたり、子どもによって少しずつ楽しむ部分が違ったりしたらいいなと。勝手にセリフを付けて楽しんでくれてもいいですよね。そういう余白を作るために、極力説明や意味を持たせずに、ただ現象を描いているんです。
――読み手の考え方の幅を狭めないように意識されているんですね。
たなか:ここからは急に宗教みたいな話になるんですけど、宇宙だって何か意味があって発生したものじゃないですよね。いろいろな偶然が重なって生まれた宇宙の中に、たまたま地球があって、たまたま人間がいて、たまたま僕が生まれた。これは全部たまたま発生したもので、何の意味もないことです。ただそこに居るだけ。でも生きていく中で、家族がいたり会社に勤めたり結婚したり、いろいろな出来事を経験して、生きる意味とかやりたいことを発見していくじゃないですか。無意味な中でも、自力で楽しみ方を見つけていくんですよね。この作業って、生きる上で結構重要だと思っています。
だから絵本においても「これはこういう楽しみ方だ」って限定するんじゃなくて、どういう部分を面白がるかの余白をたくさん作っておきたい。そうすることで、幼少期の子どもの考える地盤を作る手助けができたらいいなと思っています。
――そういった考えを持つようになったきっかけはありましたか?
たなか:僕の父親がそういう教育方針だったんです。僕は子どもの頃にファミコンが欲しかったけど、「遊び方が限定されているものは与えたくない」と言われて。当時は意味がわからなかったですが、今思えば確かにゲームって遊び方がわりと決まっていますよね。
――こうすればクリアできるという正解があるものも多いですよね。その教育方針が、たなかさんが創作活動を始めることに繋がったのでしょうか。
たなか:そうだと思います。小さい頃は、ずっと砂場で遊んでいるような少年でしたね。母親が油絵のセットを持っていたので、小学校のときに半ば無理やり油絵を始めさせられて、最初は友達と遊びたいから嫌だったんですけど、やっていくうちに「むっちゃ面白いな!」みたいな瞬間が出てきて、そこから「俺は絵で食っていくかもしれん」と思いました。
――小学生のときから将来像が見えていたんですね。当時はどんな絵を描いていたんですか?
たなか:風景や建物を描くことが多かったです。水彩絵の具の滲む感じとかが好きで。あとは美術大学を受験するために静物デッサンを教えてもらったりしました。
――『すしん』の絵はリアルで生っぽさを感じましたが、当時のデッサンや風景模写の影響はありますか?
たなか:あると思います。でも『すしん』の絵は、あまりリアルにしすぎずに生っぽさを残したくて。寿司ってよく考えると変なものじゃないですか。米の上に魚の死骸が乗っているという。そんな元生き物だった感じをちょっと出しつつも、線の情報量はなるべく減らすことを意識しました。
――そのバランス感覚にはどんな意図があるんでしょう。
たなか:ギャグ漫画を描き始めたとき、張り切って背景もしっかり描いていたんですよ。でも編集さんに「ギャグ漫画ってただでさえ情報量が多いから、もう少し絵の情報量を減らした方がいいですよ」と言われて、確かになと。見せたい部分は風景じゃないから、見てほしいギャグをちゃんと見てもらえるように、それ以外の情報量は減らそうと思ったんです。