ラブライブ!、プリキュア手がけるアニメーター・斎藤敦史 キャラを魅力的にするデザイン論

斎藤敦史に聞く魅力的キャラのデザイン論

■話題作のキャラクターをデザイン

 2020年に『ラブライブ!スーパースター!!』のキャラクターデザイナーを担当し、数々のかわいらしいキャラクターを手掛け、その人気を牽引するアニメーターになった斎藤敦史。『ラブライブ!スーパースター!!』は今年10月から、第3期の放映が決まっている。

 斎藤は、女児向けアニメの金字塔『プリキュア』シリーズの第20作目として放送された『ひろがるスカイ!プリキュア』でもキャラクターデザインを手がけ、話題を席巻した。そして、今年7月に放送されるアニメ『小市民シリーズ』でも、キャラクターデザインを手掛けることになっている。

 まさに、今もっとも旬なアニメーターの一人といえる斎藤に独占インタビュー。新卒で入社した京都アニメーション時代のエピソードから、人気作品のキャラクターデザインの方法論まで、濃密に話を聞いた。

斎藤敦史がキャラクターデザインを手がけた、『ひろがるスカイ!プリキュア』のキュアスカイ。画像は『プリキュア20周年アニバーサリーブック』(Febri編集部/編集、東映アニメーション/監修、一迅社/刊)で、斎藤のインタビューも収録されている。

 

■子ども時代は無類の漫画好き

――斎藤先生は熊本県の出身だそうですね。

斎藤:はい。僕は熊本県熊本市の出身で、兄2人の3人兄弟の一番下でした。兄たちが買ってきた漫画を、小学生の頃からジャンルを問わずいろいろ読んでいたのですが、なかでも『こち亀』や『ブラック・ジャック』が好きでしたね。「ジャンプ」も購読していたので、『ダイの大冒険』の最終回と『こち亀』の1000話が同じ号に載っていたのは覚えています。漫画に対して、アニメはそこまで見ていなかったですね。いわゆるオタクの深みに入ったような。深夜アニメに触れたりはしていませんでした。

――どちらかといえば漫画好きなのですね。

斎藤:というより、基本的にゲーム好きで、「ファミ通」などの雑誌も買っていましたし、家では格ゲーをよく遊んでいました。冬目景さんの絵が好きで、1999年に出た『ギガウイング2』のキャラクターデザインも好きでした。とはいえ、学生時代はイラスト一辺倒ではなく、幼稚園から小学6年までサッカー、中学で軟式テニス、高校で硬式テニスをやっていたので、インドアとアウトドアのバランスがいい感じの学生生活だったと思います。

――10代の頃はそれほど絵を描くことはなかったのでしょうか。

斎藤:記憶に残っているのが、『すごいよ!マサルさん』の作者、うすた京介先生の短編『エト』という漫画を模写しようとしたことがあるんです(笑)。しかも、まるまる1本、模写しようとしていました。トーンとか画材のことは知らなかったので、その部分は手描きで頑張ったりして。あとは、ノートに落書きをしたりする程度ですね。高校までは美術系の学校に通っていたわけではないので、デッサンやクロッキーなどの専門的なことをやった経験はありません。

――『エト』は私も読んだことがありますが、相当マニアックな読切だと思います。

斎藤:純粋に面白かったんでしょうね。漫☆画太郎先生の『珍遊記-太郎とゆかいな仲間たち-』なども読んでいましたね。アニメより漫画をよく読んでいて、少女漫画から少年漫画、青年漫画、BL漫画やレポ漫画、古いものから最新作まで面白い漫画は手広く読んでいます。

――斎藤先生が関わっているアニメと、作風がかけ離れた作品も多いですね(笑)。でも、かなりの漫画好きであることがよくわかります。

斎藤:創作系の同人誌即売会の「コミティア」にサイレントで出たりするほど、漫画は好きです。結局、多忙すぎて実現しませんでしたが、以前に漫画編集の方から読切のお誘いをいただいたこともありました。

■大学で本格的にアニメに触れる

――大学では映像学科に進まれたそうですね。入学の動機は何だったのでしょうか。

斎藤:高校生の時によくゲーセンに通っていて、ビデオゲームのCGに触れて興味を持っていたので、その方向に進みました。1~2年次は10人未満ぐらいのチームを組んで実写の短編映画を作らされたりするのですが、3年次からコースが分かれます。そのときに仲の良かった友人がアニメのコースに行くと言っていたので、あまり考えなしについていったんです。

――アニメの道に進んだのは、そのご友人の影響なのですか。

斎藤:そうですね。その友人には、僕があまりにアニメを何も見ていなかったので、作品をすすめてもらいました。コースに進んでからは、クロッキー帳に人体の練習をしたり、当時見たアニメの絵を描いたりしたのは覚えていますが、今の絵柄とはまったく違うものです。他には、あまり基礎的な勉強をやったことはないかな。そもそも、大学のアニメの先生はあまり詳しいことを教えてくれなかったんですよ。期日までに課題を提出すれば、あとは放任主義でした(笑)。

――そんな(笑)。

斎藤:5分か10分くらいの映像作品を3人チームでつくりましたが、アニメのセル画の重ね方、原画や動画の違いなども、ぜんぜん知らなかったほど。レイアウトのあとに原画や作監を飛ばして、いきなり本番用の動画を描き出したりするくらい。よく言えば、学生の自主性を大切にした環境だったと思います。

■京アニ入社は友人の影響!?

――そして、斎藤先生は2008年に京都アニメーションに入社されますよね。2008年といえば、伝説のアニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』が大ヒットした翌年です。京アニを志望した動機もやはり『ハルヒ』などの作品にあったのでしょうか。

斎藤:アニメのコースに導いてくれた友人のひとりが京アニの社長の講演会に行き、「あの社長はしっかりしているわ~」と言っていたので、僕はその発言を信用してすっと受け入れ、試験を受けようと思ったんです。お恥ずかしいことに、実はそこまで京アニの作品を見たことがなかったんですよ。

――それなのに、入社試験を受けたんですか。ご友人への信頼度が絶大ですね(笑)。

斎藤:入社試験は一次選考、二次選考がありました。一次選考では履歴書とかの他に、剣で斬りかかっている人とか、椅子に座って本を読んでいる人などのお題を描いたのかな。二次選考は面接とかポートフォリオを持参して見てもらう感じです。僕はポートフォリオがスカスカすぎたので、行く前日、クロッキー帳にペンギンやカワハギなどの動物の絵を描いて持っていきました。

――土壇場でいろいろ揃えた感じですね。あの頃は、京アニ作品が毎年のようにアニメ界隈の話題を席巻していたので、入社希望者も多かったと思います。そんな激戦を勝ち抜いた斎藤先生の凄みを感じずにはいられません。

斎藤:いえ、画力は他の人たちと比べてもぜんぜん劣っていたと思うので、真面目そうなイメージで採用してもらえたのかなと。作画で入社しましたが…… お情け枠だったんじゃないでしょうか(笑)。

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