【追悼】エスパー伊東はかくも愛された芸人だったーー多芸多才、漫画家アシスタントや画家の一面も

多芸多才だったエスパー伊東

 お笑いタレントのエスパー伊東が亡くなった。63歳だった。数年前から闘病生活を続けており、SNS上でもファンの間から悲しみの声が上がっている。エスパーといえば体を張った芸風で有名であるが、画家としての一面ももち、テレビ番組でその腕前を披露したこともある。そんな絵の技術を活かし、漫画家のアシスタントをしていた時期があるのだ。

 アシスタント時代の話はエスパー自身がブログで明らかにしている。もともと絵を描くのは好きで漫画家を目指していたというエスパーは、1985年頃、『北斗の拳』の原哲夫、『シティハンター』の北条司、『いっしょけんめいハジメくん』のコンタロウなど、いずれも「週刊少年ジャンプ」黄金期を支えたそうそうたる人気漫画家のアシスタントに応募している。

 アシスタントは、プロの漫画家を目指すために通る道である。エスパーの意気込みも相当なものだったが、残念ながら前述の漫画家からは採用されなかった。それでも、「ジャンプ」の編集部から紹介を受け、『ジャストACE』の井上泰樹のアシスタントとしてめでたく採用された。他にも、「漫画ゴラク」「ビックコミック」などで連載する漫画家のもとでもアシスタントを務めたようである。

 エスパーがアシスタントをしていた1980年代といえば、「ジャンプ」が数百万部という前人未到の発行部数を記録していただけでなく、他誌もヒットを連発していた。漫画家の仕事は相当な激務だったし、アシスタントも徹夜や泊まり込みが多く、過酷だったといわれる。エスパーにとって思い出深い体験だったようだが、体を張った芸よりも大変なことが多かったのではと想像してしまう。

 エスパーは1990年代、ボストンバッグの中に入り込むカバン芸によって、お茶の間の人気者としての地位を確立した。90年代の印象的な仕事のひとつに、高視聴率を叩き出していた『投稿!特ホウ王国』に本名の“伊東万寿男”で出演した事例を挙げたい。同番組にはMr.マリックも“栗間太澄”の名前で出演していたが、伊東も「伊東万寿男の無謀な挑戦」という得意の無謀な挑戦を披露するシリーズを担当。栗間とともに番組を大いに盛り上げた。

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