矢野利裕の『推す力』評:アイドル評論家・中森明夫は「推す」行為の危うさとどう向き合ってきたか?

中森明夫が示唆する「推す力」の危うさ

 中森は以前、AKB48をアンディ・ウォーホルのファクトリーとのアナロジーで語る社会学者・濱野聡史に対して、次のように応答している。

そうやって論理で切った手形のツケを、いつか実存で払わなきゃいけないときが来るように想う。ウォーホルは、ファクトリーで人間をアートのようにスーパースターに仕立て上げた結果、イーディーという悲劇の女性を生み出した。さらにはヴァレリー・ソラナスに自分自身が撃たれるという痛みも味わった。そうやって、ポップの裏側にある実存の問題に復讐されるわけ。単純に言うと、女の子たちが可哀想だと思わないの? ということだけど。(『AKB48白熱論争』)

 批評の「ダシ」(小林秀雄)となった対象も、もちろん現に生身の身体をもって生きている。誰かに期待を背負わせ、誰かを「推す」こと自体に危うさがある。女性アイドルをめぐる問題というものがずっとあるし、ジャニーズの問題だって表面化した。「推す力」は「いい結果ばかりをもたらすわけではない」。「推す力」を行使するとき、そのような危うさが抱えられることを忘れてはいけない。少なくともわたしたちは、「推す力」がアイドルにとって「いい結果」を「もたらす」ように努めるべきだ。「アイドルを『推す』ということは、そう、未来を信じることなのだ」という最後の一節は、現に生身の身体をもって生きているアイドルとともに「未来」を作り上げようとする姿勢のことだと解釈した。

 だとすれば、ロマン優光の批判に対する中森の応答は、今後の中森の姿勢にこそ見出したい。なるほど「価値の捏造」はわかった。では、自らが「捏造」した「価値」に対してどのような落としまえを付けるのか。AKB48の握手会における事件で「アイドル」というジャンルそのものが非難の対象となったとき、中森は全国紙で「アイドルを守れ!」と呼びかけた。現在はジャニーズをめぐる問題でたびたびメディアに登場している。アイドルを危機に追い込むのも「推す力」の作用だとすれば、アイドルを救うのもまた「推す力」の作用である。アイドルが危機的な状況に陥ったとき、中森の「推す力」はどのように行使されるのか。いち読者として、これからも注視したい。かつて宮崎勤事件が起こったさい、中森は大塚英志とともに『Mの世代』という著書で、逆風を覚悟のうえで宮崎的な「感受性」から言葉を発することの必要性を説いたことがあった。そういう著者なので信頼はしている。

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