復刊ミステリ、書評家・千街晶之が読む 2023年に刊行されたおすすめ作品5選

 どんな名作でも、品切れ・絶版などで新刊での流通が途絶えた場合、後世の人間にとって入手のハードルが高くなり、作品そのもの評価にまで影響する。ミステリの場合もまた然り。

  例えば、1985年と2012年、ミステリファンの投票を集計した「東西ミステリーベスト100」が「週刊文春」誌上で発表されたが、1985年版でランクインしていなかった山田風太郎の作品が2012年版で4作も入ったのは、80年代は入手困難になっていた彼の傑作ミステリ群が、90年代から次々と復刊されたことと無関係ではないだろう。

  また、米澤穂信の『黒牢城』や伊吹亜門の『刀と傘』などの歴史ミステリは、山田風太郎という先駆者の試みが、米澤や伊吹らの後続世代の目に触れる機会がなければ誕生し得なかったことも明らかである。入手困難になった名品を復刊する作業は、その作品の寿命を延ばす上で不可欠であるのみならず、後世のミステリの歴史すらも変える場合があるのだ。

  というわけで、本稿では2023年に復刊されたミステリを幾つか紹介したい。いずれも、復刊されるだけの値打ちがある逸品であり、未読の方は正月休みなどを利用して是非読んでいただきたい。

梶龍雄『葉山宝石館の惨劇』

  徳間文庫のレーベル「トクマの特選!」は、笹沢左保・都筑道夫・小泉喜美子・中町信ら昭和のミステリ作家の埋もれた傑作・秀作を復刊しているが(ミステリだけではなくSFなどジャンルは多岐に亘っている)、その目玉企画のひとつが「カジタツ」こと梶龍雄だ。『透明な季節』で江戸川乱歩賞を受賞、主に書き下ろしのノベルスで凝った本格ミステリを発表し続けた作家である。

 「トクマの特選!」からは「梶龍雄青春迷路ミステリコレクション」と題して『リア王密室に死す』『若きウェルテルの怪死』、「梶龍雄驚愕ミステリ大発掘コレクション」と題して『龍神池の小さな死体』『清里高原殺人別荘』『葉山宝石館の惨劇』が復刊されたが、ここでは『葉山宝石館の惨劇』を紹介する。

  ある資産家が葉山に建てさせた私設宝石博物館で、警備のため雇われた探偵が殺害され、更に長女の求婚者たちが次々と変死してゆく……という展開の本格ミステリである。刊行は1989年、つまりその2年前にスタートした「新本格」が話題を巻き起こしていた頃だ。本書も今読むと、手記の使い方、相次ぐ密室殺人などのミステリ的ガジェットの豊富さは新本格と共通するものを感じさせる。目まぐるしいほどに起こる惨劇の背景に秘められた事件全体の構図は大胆不敵そのもので、たとえ犯人の見当はついても、この動機は見抜けなかったという読者が多いのではないか。

鈴木悦夫『幸せな家族 そしてその頃はやった唄』

  中公文庫から復刊された鈴木悦夫『幸せな家族 そしてその頃はやった唄』は、1989年に刊行されたジュヴナイル・ミステリである。トラウマ児童文学として一部で語り継がれていたものの、絶版になって久しいため伝説と化していた作品だ。

  語り手は中道省一という小学六年生の少年。中道家は保険会社のCM「幸せな家族」のモデルに選ばれたが、その撮影が始まった直後に父親が殺され、家族を次々と不幸が襲うことになる。1ページ目でいきなり「はじめは父だった。つづいて兄が死に、母が死に、姉が死んだ。そしてもうひとり、家族ではないけれど、ぼくの親友も死んだ」とこの一家の運命が明かされ、その後はある歌の歌詞をなぞりながら、まるで止まらない歯車さながらに、あるいは厳粛な儀式のように無残で悲しい事件が進行してゆく。現在のミステリファンが読んだら犯人は早い段階でわかるかも知れないが、歪な動機や犯行手段は今読んでも衝撃的で、何とも言えない余韻が残る。

木ノ歌詠『幽霊列車とこんぺい糖 新装版』

  星海社FICTIONSの1冊として復刊された木ノ歌詠『幽霊列車とこんぺい糖 新装版』は、ぐっと新しく2007年の作品(元の富士見ミステリー文庫版には「メモリー・オブ・リガヤ」という副題があった)。著者の木ノ歌詠は、現在は瑞智士記の筆名で『展翅少女人形館』などを発表している。

  主人公の有賀海幸は、田舎町で暮らしている中学二年生。彼女は、ある理由から駅で飛び込み自殺を図るが、1カ月も前に廃線になっていたのを知らなかったのだ。死に損なった彼女の前に突然現れたのは、一人称が「ボク」の風変わりな女子高校生、自称「リガヤ」。彼女は海幸をひまわり畑の中にある廃棄車両へと案内し、「——ボクがこいつを『幽霊列車』として、甦らせてみせる!」と宣言するのだった。

  ここまでがプロローグにあたる部分で、その後は海幸とリガヤの交友、彼女たちを取り巻く複雑な環境と過去、そしてリガヤが「幽霊列車」を甦らせようとしている理由は何かという謎を中心に進行してゆく。

  著者が本書を執筆した際に意識した作品のひとつは、桜庭一樹の名作『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』だったという。それだけに『幽霊列車とこんぺい糖』も、環境に抑圧された少女たちのダークな心理描写に重点をおいた小説となっている。主人公が、自殺願望に憑かれた海幸と真意不明のリガヤという二人であるため、物語には夏という季節に相応しからぬ濃密な死の気配が漂う。リガヤの歪な目的がついに暴かれるハイテンションな第7章は、物憂い夏の空気の背後に淀む闇の深さに戦慄させられること必定である。ライトノベル・ミステリの名作として読み継がれるべき作品だろう。

佐野洋『見習い天使 完全版』

ミステリ界において「復刊といえばこの人」という存在は日下三蔵である(冒頭で触れた山田風太郎の復刊も、大部分はこの人の功績だった)。その日下の編によってちくま文庫から復刊された佐野洋の連作短篇集『見習い天使 完全版』は、「こんにちは。見習い天使です。つまり、このたび、天使の臨時大増員によって、新たに任命された、最下級の天使なのです」という書き出して始まる(第1話「黒い服の女」)。

  といってもずっと天使の視点で話が進行するわけではなく、各篇のメインの部分は人間社会を背景とする犯罪絡みの悲喜劇が展開され、冒頭と最後に天使のコメントが入る……という構成になっている。1話が大体400字詰め20枚くらいという短さなので、それほど複雑に入り組んだ犯罪は描かれていないけれども、人間のちょっとした勘違いや計算違いが皮肉な結果を招く洒脱な話ばかりであり、菓子に譬えるならば大型のデコレーションケーキではなくプチフールの味わいと言える。

  この『見習い天使』が単行本化されたのは1963年だが、実は連載のうち6回はそこに収録されず、後年、文庫オリジナル短篇集『私版・犯罪白書』に収められることとなった。つまり、シリーズのすべてを読みたければ『見習い天使』『私版・犯罪白書』の2冊を揃えるしかなかったのだが、今回の『見習い天使 完全版』でようやく全作を通読できるようになったわけである。日下三蔵ならではのこの親切な編集方針には頭が下がる。

辻真先『村でいちばんの首吊りの木』

   最後の1冊は実業之日本社文庫から復刊された辻真先の『村でいちばんの首吊りの木』。90歳を越えてなおミステリ作家としてバリバリ現役、しかもアニメや特撮の脚本家として生き字引的存在である辻だが、意外にも映画化された小説は1作しかない。それが本書の表題作であり、元の単行本(1986年)は映画化タイトルに合わせて『旅路 村でいちばんの首吊りの木』というタイトルだった。

  表題作は右手首のない女の死体が発見されたという殺人事件の経緯を、容疑者となった行方不明の長男の身を案じる母親と、彼女の次男との往復書簡スタイルで綴った作品。事件の背後から浮上する寒村出身の一家の心理の機微の深い掘り下げが読みどころで、著者の自薦ベスト短篇5作に選ばれたのも納得の出来である。他に、一見幸せそうな家族それぞれの秘密を描いた「街でいちばんの幸福な家族」、波・家・テントなどの無生物によるリレー式の語りで構成された「島でいちばんの鳴き砂の浜」が収録されている。いずれも技巧的な語りが意外性を演出した作品ばかりで、今回が初文庫化というのが不思議なほどである。

 この文庫版では、著者と若手ミステリ作家・阿津川辰海の対談が巻末に収められている。辻真先は1932年生まれ、阿津川辰海は1994年生まれだが、同じミステリ作家として、マニアとして、年齢差を超越した共鳴が感じられるのが胸をうつ。

  しかし、世代を越えて同好の士が語り合えるのも、埋もれた作品を蘇らせる復刊があればこそ。2024年も、名作復刊の動きは続いてほしい。

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