解剖学者・養老孟司が到達した「なるようになる」という考え 「人間にはそこまで全てを読み切れない」

養老孟司「なるようになる」の真意

額に汗して働くということには、ずっと疑いを持っている

ーーご自身の過去を振り返られると、なるようになってきたとに思われますか。

養老:うん、なるようになるしかないので、しょうがないんですよ。一切無理しないという裏があるんですけどね。「なせばなる」というのは無理しているんですよ。何とかしようとするんだから。そういうのを僕は悪あがきって言うんですけどね。

 じゃがいもは畑で放っておけば、勝手に育つんだよ。だけど、人はどうするかっていうと、一生懸命に穴を掘って育てるでしょう。額に汗して働くわけです。そうすると「俺が育てた」って言えるからね。人はきっとそれが好きなんだろうね。しかし私はね、額に汗して働くということには、ずっと疑いを持っているんです。まあ人間社会ではともかく、特に自然を相手にするときはね。

 自然の出来事に対して、一生懸命汗を流してやってみても、結果は対して変わらないんじゃないか。医学部にいたから、特にそう思うのかもしれない。医学部は人の体、つまり自然を扱う。医者は絶えず何かをしようとするんですよ。薬を出したり、注射したり、手術したりとかね。本当にそれがいいことかどうか、誰にもわからないんだよ。今の医学はそういう風に頑張るから、あまり好きじゃないね。

ーー「不要不急」という言葉が、特にコロナ禍においてよく使われたことを思い出します。

養老:僕の専門の解剖学なんて、最初から不要不急ですよ。江戸時代に解剖が始まったときから、そういう批判がありました。医者の仕事は、患者の苦痛を和らげ死から救うことであって、死んだ人間の解剖は仕事に入らないと。要するに解剖をやるなと言うときに、いろんな理屈をつけているだけですけどね。当時からいらないとみなされていた。

ーー現在でも役に立つことや有用性ばかりが求められる社会です。

養老:今年の夏に渋谷区と東大先端研のプログラム『都会の真ん中で昆虫ざんまい』に参加したんですが、子供たちを集めて東大校内で虫採りをしました。本当に何の役にも立たないことをやっていた。

 一緒に出てたのがシジュウカラの言葉を研究している鈴木俊貴さん。シジュウカラがいろいろ喋ってるのをちゃんと盗み聞きしてるという。タイワンリスやヘビがあっちに出たとかね。これは本当に役に立たないですね。

ーー子供はそういうものを面白がる感性を持っているんですね。

養老:そうですよ。まだ社会に組み込まれてないからね。「不要不急」というのは、社会にガッチリ組み込まれてしまった人が使う言葉です。確かに政治家や官僚はそういう人たちだから、要件、つまり必要なことや大事なことをするのでしょう。だけど、ちょっと社会から外れてみれば、不要不急なものがいっぱいある。

 河原の石ころを見てみろと。どれも意味なんて全然わかんないよ。そこにある意味からして不明です。そういうものを見ていない人たちが、存在する全てのものには意味があるべきだと思ってしまう。オフィスビルの中にいて、意味があって役に立つものばかりに囲まれていると、そういう価値観に陥ってしまうでしょう。

ーー自伝を出版された今、新たに何にご関心があるでしょうか。

養老:今、世界中で虫が減っているんですね。1990年から2020年の30年間で、全世界で8、9割の虫が減ったとされています。それで虫がいなくなったら、世界はどうなるのかというシミュレーションなんかやっているけどね。そんなことせずとも、これはもう生物存亡の危機ですよ。だからどうにか虫を増やせないかと考えています。

 最近、テレビを見ていたら、中国ではアンズの花の受粉を人が筆でやっているんだ。あれは本来ハチがやるんだよ。よくやるよ、と思ったね。日本でも本当に一生懸命、自然を壊した。その影響が出ないはずがない。一度立ち止まってみて、どこまで壊してしまったのか、考えるべきでしょう。

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