宮沢賢治は天才・天文少年だった? 天文学者・渡部潤一が注目した、比類なき“星空”の正確描写と“文学”への昇華

天文学者・渡部潤一が語る宮沢賢治

賢治作品ならではの面白さとは

――銀河鉄道の夜では、はくちょう座から始まり、わし座、さそり座、南十字星など天の川沿いを旅します。実際には北半球では見えないはずの南十字星へと向かうことになっていますが、そのような記述からみて、天文学としての事実と創作との関連はどのようにお考えでしょうか。

渡部:物語ですから、必ずしも天文学に即している必要はないと思いますが、『銀河鉄道の夜』ははくちょう座、つまり北十字から南十字への旅です。これは、十字架から十字架へ向かう、キリスト教的な考えを入れた旅といえます。その途中で列車に乗ってくる人にも、氷山にぶつかって沈んでしまったタイタニック号に乗船していたクリスチャンの乗客を登場させ、ジョバンニと、神について議論するシーンを描いているくらいですからね。また、はくちょう座、わし座、さそり座、そして南十字のあとに石炭袋があるのも天体としてはその通りで、順番は決して間違えていないと思います。

――賢治の作品では空に地層があったりと、天体の知識と地質の知識を融合させた独特の描写も見られます。

渡部:時間と空間の次元をある意味一体化させるという考え方は、アインシュタインの相対性理論そのものです。また、空にはプラネタリウムのように壁があり、外側に神様の世界があり、地上界とは隔絶された厚い壁があって、そこから光がさしてくるのが流れ星という考えは、昔からあったのです。星を見ていると、そういう思いにとらわれることはあります。プラネタリウムは星を光で投影しますが、昔の日本人は星を筒と言っていました。たとえば宵の明星の金星を夕筒と言ったりします。筒というのは天蓋に開けられた穴から向こう側の光が漏れているという考えです。原始的というか直感的、感覚的な考え方ですが、賢治は天体知識がありながらも、その感覚も持っていたと言えるでしょう。

――空がおわん状で固い鉱石という言葉も印象的です。

渡部:15世紀頃までの西洋では、天球はそういうものだと思われていたんですよね。実際、現在の科学の知識なしになんとなく空を眺めていると、そういう思いにとらわれる気がしませんか。通常、我々のような凡人は、科学の知識を得るとそういう感覚を捨ててしまいますが、賢治はそれを捨てなかったのが凄いですね。それがファンタジーを生み出す原動力になったのだと、僕は思います。

――ちなみに先生は、『よだかの星』はお好きなのでしょうか。『よだかの星』はテーマ先行で書いてしまったのか、深読みすると賢治らしさが少ない印象を受ける作品です。

渡部:『よだかの星』は道徳教育で使われていたじゃないですか。僕はひねくれ者ですから、ステレオタイプで教えられるものは好きではないんですよ(笑)。作中に星は出てきますが、ランダムなんですよね。『銀河鉄道の夜』のように、系統的になっていない。天文学者の谷口義明さんと、『よだかの星』に出てくる星には順番があるかどうか調べたのですが、どうも意味のある順番ではないようで、あまりしっくりこないんですよ。

――『銀河鉄道の夜』3次槁の最後の方にプレシオスの鎖を解けという言葉があります。これは『旧約聖書』からの引用なのでしょうか。

渡部:草下英明さんも『宮澤賢治と星』という本で触れていたと思いますが、『旧約聖書』の表現といわれていますよね。そこは僕も解釈が難しいですね。登場する博士は最後にいなくなってしまうのですが、賢治は博士にどういう会話をさせ、何を訴えたかったのかが、僕にはまだ理解できません。

研究者としての道が断たれたからこそ生まれた名作

――改めて振り返ってみると、賢治はもちろんあらゆる科学に通じているわけではないのに、作中では研究者が刮目するほど正確な描写がみられます。これは驚くべきことですね。

渡部:先ほどのバタグルミの話でもありましたが、賢治は研究者に憧れを抱いていたとは思います。化石採集を案内した東北大学の教授から論文の共著者になって欲しいという申し出を断ったようですが、そういった自分が好きな分野で社会に貢献したいという思いはあったのではないかと思うのです。天文、鉱物、地質などの様々な分野を好奇心をもって学んだおかげで、正確性を損なわず、賢治の言葉で文学になったのでしょう。

――賢治は一方で、せっかく学校の先生という安定した収入を得たのに辞めてしまいますよね。挫折感も創作の原動力になったのでしょうか。

渡部:賢治には人の幸いのために働くという目的があり、社会に貢献したいと思って学校の先生を辞めました。もし目の前に研究者になる道が開かれていたら、これだけの物語は生み出せなかったと思います。研究者だったら論文を書くことに注力しますから、両立は難しいはずです。そもそも研究に突っ走っていたら、物語を書いて評価されようとは思わないでしょう。

――渡部先生からみて、賢治はどのような人物だと思いますか。

渡部:情報が少ない中で、最先端の知識を貪欲に学び続けていた、生粋の天文ファンであることは間違いありません。賢治の凄いところは、そうした知識を自分の言葉にして文学に昇華させたことです。それに、生き方はとっても真似できないし、猪突猛進で、人のことを考えられる自己犠牲の精神に溢れた人だったと思います。そういった方が天文ファンであってくれたことは非常に嬉しいですし、天文や宇宙の知見をこれだけの名作に散りばめてくださったことはありがたいですね。賢治の作品を通じて、天文の魅力に目覚める人が出てくればいいなと思っています。

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