日本のポップカルチャーのルーツには「宮沢賢治」がいる 『猫と笑いと銀河 宮沢賢治ユーモア童話選』発売
宮沢賢治が今、注目されている。5月5日からは映画『銀河鉄道の父』が公開。音楽、アニメなどの作品が登場。それぞれが話題となっていて、賢治作品に興味を持つ人が増えている状況だ。賢治は100年以上も前に生まれたのにも関わらず、世代を超えてなぜ愛されるのか。特に世界中から注目を集めている日本のポップカルチャーに与えた影響は計り知れないものがある。その源流にある「賢治」という存在。「賢治」研究の編集長が語る、魅力とは。
宮沢賢治は大正~昭和初期の詩人・童話作家である。「雨ニモマケズ」や妹トシの死を悼む詩「永訣の朝」などが教科書にも出て有名になり、賢治といえば、生真面目な人という印象が強い。しかし、マンガやアニメ映画で親しまれている長篇童話「銀貨鉄道の夜」には、銀河の鳥捕りとか化石掘りの大学士とか、けったいな人物が登場し、生真面目ばかりではない賢治が顔を覗かせている。実際の賢治は朗らかで、ジョーク好きの人物だったようだ。
その作品は、言葉が軽快なリズムを刻み、オノマトペといわれる独特な擬音・擬態語が歌うように登場する。たとえば、童話「風の又三郎」は次の言葉から始まる。
どっどどどどうど どどうど どどう
青いくるみも吹きとばせ
すっぱいかりんも吹きとばせ
どっどどどどうど どどうど どどう
読んだだけで歌い出したくなるではないか。
次は童話「やまなし」の冒頭で、賢治のオノマトペとしてよく取り上げられる。
二疋の蟹の子供らが青じろい水の底で話していました。
『クラムボンはわらったよ。』
『クラムボンはかぷかぷわらったよ。』
『クラムボンは跳ねてわらったよ。』
『クラムボンはかぷかぷわらったよ。』
「クラムボン」とは何か。多くの評論家や研究者がいろいろに論じているのだが、結局、何かわからない。童話「やまなし」は谷川の弱肉強食の世界を描く悲劇的な話なのだが、春と秋の「二枚の青い幻燈です」というファンタジックな設定に加えて、「クラムボンはかぷかぷわらったよ」というオノマトペが救いになっている。
狐と人の殺し、化かされることを背景とする童話「雪渡り」の凍った雪原を歩く「キックキックトントン」も印象的なオノマトペである。この物語では狐の学校の生徒たちが最後に大合唱をする。
キック、キックトントン、キックキックトントン。
「ひるはカンカン日のひかり
よるはツンツン月あかり、
たとえからだを、さかれても 狐の生徒はうそ云うな。」
キック、キックトントン、キックキックトントン。
「ひるはカンカン日のひかり
よるはツンツン月あかり
たとえこごえて倒れても
狐の生徒はぬすまない。」
賢治の作品には、しばしば、このように歌が取りこまれている。たとえば、童話「ポラーノの広場」では、次のように歌う。
「今度は我輩(山猫博士)がうたって見せよう。こら楽隊、In the good summer time をやれ。」
(中略)山猫博士は案外うまく歌いだしました。
「つめくさの花の 咲く晩に
ポランの広場の 夏まつり
ポランの広場の 夏のまつり
酒を呑まずに 水を呑む
そんなやつらが でかけて来ると
ポランの広場も 朝になる
ポランの広場も 白ぱっくれる」
「In the good summer time」はアメリカの作曲家はジョージ・エヴァンス George Evans の「In the good old summertime」のことで、賢治は日本語の歌詞をつけた。
このほか、童話「ポラーノの広場」には、「フローゼントリー」(元はR・バーンス作詞、スピルマン作曲「Flow Gentry,Sweet Afton」)、『讃美歌』第四百四十八番を元にした「ポラーノの広場のうた」など、いろいろな歌曲が取りこまれている。また、童話「ポラーノの広場」とは別に戯曲「ポランの広場があり、実際に歌われる筋立てになっている。
軽妙でコミカルな作品を集めた『猫と笑いと銀河 宮沢賢治ユーモア童話選』の中の「北守将軍と三人兄弟の医者」にも「北守将軍ソンバーユーは いま塞外の砂漠から やっとのことで戻ってきた」と始まる長い凱旋歌が挿入されている。これにも戯曲「植物医師」がある。
また、戯曲「飢餓陣営」には当時のレコードにあった「スイミング ワルツ」が使われているなど、賢治は流行の先端の音楽を作品に取り入れている。そのジャンルはベートーベンの交響曲「田園」やドヴォルザークの「新世界より」などのクラシックだけでなく、今でいう歌謡曲やポップミュージックに及ぶ。
詩集『春と修羅』の「習作」と題する詩では、冒頭にツメクサの花のことを「キンキン光る 西斑尼製です(つめくさ つめくさ)こんな舶来の草地でなら 黒砂糖のやうな甘つたるい聲で唄つてもいい」と述べた後の詩句の行の上に「とらよとすればその手からことりはそらへとんで行く」と記している。これは北原白秋作詞、中山晋平作曲「恋の鳥」の一部で、当時の流行歌だった。