「ひこにゃん」生みの親・もへろん、彦根市との軋轢から電撃的な和解 そして未来に向けた「絵本」への意気込み

「ひこにゃん」生みの親・もへろん、彦根市との軋轢から電撃的な和解 そして未来に向けた「絵本」への意気込み

  現在のご当地キャラクターブームをつくったキャラクターといえば、滋賀県彦根市のマスコット「ひこにゃん」であろう。ひこにゃんは、イラストレーターのもへろんによってデザインされ、平成19年(2007)の「国宝・彦根城築城400年祭」に合わせて誕生。そのゆるさと愛らしさから、瞬く間に大人気となった。

  様々な問題を巡って、もへろんと彦根市の間に溝が生まれた時期もあった。しかし、歴史的な和解を果たした結果、ひこにゃんのイラストが次々に誕生してファンが歓喜している。そんなひこにゃんの生みの親であるもへろんが、来年の3月頃に、ひこにゃんの絵本を出版するという。絵本は多くのファンや、地元・彦根市の子どもたちを喜ばせるに違いない。ますます盛り上がるひこにゃんと、創作に懸ける意気込みについても、もへろんに聞いてみた。

ひこにゃんの生みの親である、もへろん。

歴史的和解に大注目!

――令和3年(2021)7月8日に行われた、もへろん先生と彦根市の共同会見は大きな話題になりましたね。

もへろん:彦根市さんとはこれまでいろいろありましたが(笑)、これからは作者と市が協力し、ひこにゃんの様々な企画を展開していこうという会見でした。現在の和田裕行市長が就任して3~4か月のときに、会見の打診があったんです。本当に驚きました。

――この記者会見の前にも、もへろん先生は彦根市と協力してひこにゃんの別ポーズなども制作されていました。水面下では様々な歩み寄りもあったのでは、と推測します。

もへろん:大久保貴前市長の頃からも、作者と何かしらの協力はできないか」とお声掛けがあって、ひこにゃんの新しいポーズや、LINEスタンプ、「いいのすけ」という忍者のキャラを制作していました。そして、和田市長になってからはさらにひこにゃんを発展させていこう、という話になったのです。和田市長は良い意味で市長っぽくない、気のいい兄ちゃんという感じの方なのです。長くビジネスをやっていた方なので人当たりもよく、考えも柔軟で、ありがたかったですね。

国宝に指定されている彦根城天守。世界遺産登録も目指している。
JR彦根駅の改札を出るとひこにゃんが迎えてくれる。このひこにゃんのイラストは、もへろんが描いた最初期の作品である。
ひこにゃんの兜のモデルになった井伊直政の像。JR彦根駅前にある。
彦根市内を散策していると、どこにでもひこにゃんがいる。

ひこにゃんの誕生まで

――私事になりますが、もへろん先生と僕は誕生日が3日しか違わないんですよ。そんなこともあって同年代のクリエイターとして大変注目している存在なのですが、ひこにゃんをデザインされたのもかなりお若い頃ですよね。

もへろん:ひこにゃんを作ったのは20歳くらいのときですね。京都タワーの「たわわちゃん」と、阪急のハイキングの「ぴょんちゃん・のんちゃん」も、実は同じ時期に作っているんです。

――なんと、あの3組は同い年なのですか!

もへろん:同期の3組ですね(笑)。僕の中では兄弟のような存在だと思っています。ぴょんちゃんのんちゃんとたわわちゃんが同じくらいのタイミングで発表になって、僕のキャラクター作家としてのデビュー作です。その半年後に生まれたのがひこにゃんですね。

――そもそも、ひこにゃんのデザインをなぜ担当することになったのでしょうか。

もへろん:大阪で父がデザイン会社をやっていて、僕もそこに所属していました。ある時、イベント会社の方から、彦根市で今度「国宝・彦根城築城400年祭」があるからロゴマークとキャラクターでコンペをやっていると、連絡があったんです。うちだけではなく、何社かに声をかけたらしいですね。

――ひこにゃんのデザインも、コンペの段階で具体的な指示があったのでしょうか。

もへろん:それはありませんでした。創作にあたり、彦根にちなんだ様々な逸話を探したのですが、その中に招き猫の発祥のお話があったんです。東京の豪徳寺が舞台の招き猫伝説にインスピレーションを受け、私がアレンジを加えて「赤い兜の白猫」案を制作しました。そしてその案が採用されたのです。ひこにゃんという名前は公募で決まったんですよね。ちなみに、「国宝・彦根城築城400年祭」ロゴマークは父の作品です。

彦根城天守の前に置かれている、ひこにゃんのパネル。
土産物店ではひこにゃんのぬいぐるみが山盛りになっている。
とにかくあらゆるグッズが出ている。グッズの種類が多いのもひこにゃんの特徴。

 

シンプルな造形ゆえに展開しやすい

――今見ても、ひこにゃんは神が降りてきたとしか思えないほど、奇跡的な造形だったと思います。デザインが生まれたときのことを覚えていますか。

もへろん:当時は僕も若かったので、クオリティがいいのかどうかの判断ができないので、とにかく全身全霊で一生懸命にデザインをしました。無我夢中だったのか、気分が乗っていたのか、勢いがあったと思います。もともと、僕はキャラクターはシンプルに仕上げることが信条だったので、構成するパーツをなるべく少なくするんです。何個か案は描いていると思いますが、一発目でパッと描いたものを手直ししていくパターンが多く、ひこにゃんもそんな感じだったと思います。

――ということは、もへろん先生のデザインは最初の閃きが重要なのでしょうか。

もへろん:ひらめき型ですね。性格的にものぐさなところがあって、長い時間をかけるのが嫌なので、シンプルに仕上げる方が合っていたのかなと思います。あと、考えすぎて足し算と引き算をしすぎすると、はじめの勢いが死んでしまいますからね

――そういったシンプルな造形ゆえ、認知されるのも早かったのではないかと思います。もへろん先生のキャラって、子どもでも絵に描きやすいですし、グッズ化もしやすい造形が特徴です。着ぐるみも作りやすそうですよね。

もへろん:作りやすいのかなあ(笑)。僕が思うに、見た目がシンプルだと脳に優しくて受け入れやすく、最初にみたときにホッとなれる気がするんです。僕はキャラクターを自分のそばにいて欲しい存在、自分が笑っていて欲しい姿という感じでデザインするんですよね。もしかすると、僕と波長の合う方にも喜んでもらえているのかなあ、と思ったりしています。

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