『しずかちゃんとパパ』『聴こえない母に訊きにいく』『僕らには僕らの言葉がある』……ろう者との交流が教えてくれること

ろう者との交流が教えてくれること

 優しい仲間外れは、いじわるな仲間外れより多い。優しい人が多いから。そう言ったのは、NHKで放送中のドラマ『しずかちゃんとパパ』で、笑福亭鶴瓶さんが演じる〝パパ〟こと野々村純介。生まれつき耳が聞こえない、ろう者である。

 純介は、卒業文集の写真をとるため、小学校に何度も足を運んでいた。ところが、週末に行われる音楽会のことは知らされておらず、「こちらでやりますから」と言われてしまう。それは、決していじわるでも、撮影の腕を疑ったからでもない。音楽会に誘うことじたいが、純介を傷つけることにつながるのではないかという配慮だ。そんな相手に、純介は冒頭のセリフを言うのである。

 同ドラマの手話指導を担当した江副悟史さんはインタビューでこう語っている。「社会には『障がい者には配慮しなければいけない』『障がい者と接するときには注意しなければいけないことがある』という考えがあって、私には時々それが過度な思い込みに見えることがあります。私はそれを壊したいんです」と。

 配慮は、基本的に優しさからくる感情だ。相手を傷つけてはいけない、できるだけ心地よく過ごしてほしいと、人はあれこれ心をくだく。だが、「あなたのためを思って」が一方的な支配になりうるのと同じように、当人の感情を無視した配慮が、結果的にその人を苦しめ、追い詰めることはある。大事なのは、大雑把なくくりで相手を判断するのではなく、目の前にいるその人が何を感じ、何を望んでいるのか知ろうとする姿勢だ。そのためにはまず、ろう者がどのような境遇に置かれているのか、当たり前に聞こえている人たちは、知る必要があるのだと思う。

 江副さんにインタビューをしたライターのイガラシダイさんは、ろう者の両親をもつコーダ(Children Of Deaf Adults=聴こえない/聴こえにくい両親をもつ子ども)と呼ばれる存在。今年、五十嵐大名義で『聴こえない母に訊きにいく』(柏書房)というエッセイを上梓したばかりである。

 五十嵐さんの母・冴子さんは、ご両親(五十嵐さんの祖父母)の方針で、地元の小学校に進学し、手話を習うこともなく、コミュニケーション手段を獲得できないまま子ども時代を過ごしていた。ご両親は手話というものの存在すら知らなかったというが、知っていたとして、覚えさせていたかどうかはわからない。作中に書かれているとおり、手話を使うのはみっともないという抑圧が働いていた時代。さらに、優生保護法が存在していた時代でもある。耳が聴こえないという理由で、強制的に不妊手術を受けさせられた人もいる、という文章には心が冷えた。ご両親が暮らしていた宮城は、強制不妊手術の件数が北海道に次いで多かった、ということを知った五十嵐さんの〈ぼくがふたりの子として生まれたのは、まさに奇跡みたいなことだったのではないか〉という一文にも。

 実際、冴子さんは、ろう学校で出会った浩二さんとの結婚を反対されていた。出産も、心配されていた。ろう学校に通わせなかったことも含めて、そのすべては〝いじわる〟ではない。どうにかして普通の子どもに近づくことはできないか、と必死に案じ、できないのならばせめて自分たちの手の届く範囲で守りたい、これ以上の苦労をしょい込ませたくないと願う、とても優しい配慮である。だが同時に、相手の意志を無視した、エゴイスティックな押しつけでもある。

 迷惑をかけられたくない、という感情も、多分にあるだろう。言葉を選ばずに言うなら、他者に配慮するのはとてもめんどうくさい。ろう者に限らず、配慮を必要とする人たちの権利を通すためには社会全体のしくみを変えなくてはならないし、そうなれば新たなリスクや不便も発生する。新たな安心・安全を普及させるには、きっと何年も(もしかしたら十年単位で)時間がかかる。だったら、マイノリティの主張は「わがまま」と一蹴してしまったほうがラクだ。「みんな多かれ少なかれ我慢しているんだから」と言いたくなる気持ちも、正直、わかる。

 でも、そんなことは言えない。『聴こえない母に訊きにいく』を読んでしまったら。『しずかちゃんとパパ』を観てしまったら。

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