【直木賞受賞】芝居を愛するすべての人々に捧げられた小説『木挽町のあだ討ち』レビュー

直木賞受賞作『木挽町のあだ討ち』レビュー

 その結末に、胸のすくような感動を覚えた。第169回直木三十五賞を受賞した永井紗耶子の『木挽町のあだ討ち』(新潮社)。それは、「時代小説」である以上に「芝居」を愛するすべての人々に捧げられた、「エール」のような小説だった。もっと言うならば、「芝居」という「美しき虚構」の世界に一度でも魅了されたことがある人ならば、きっとわかるような感覚。それが本作には、満ち満ちていたから。

 「木挽町」とは、現在の東京は銀座、歌舞伎座あたりの旧地名である。江戸時代には多くの芝居小屋が立ち並び、にぎわった界隈だ。ある雪の降る夜、そんな木挽町で、美しい若衆・菊之助による「あだ討ち」が、見事に成し遂げられた。「われこそは伊納清左衛門が一子、菊之助。その方、作兵衛こそ我が父の仇。いざ尋常に勝負」。名乗りを上げたあと、自らの父親を殺めた男を斬り捨て、血まみれの首級を周囲に向かって高く掲げたその様は、居合わせた人々の心に鮮烈な印象を残し、「曾我兄弟の仇討」や「忠臣蔵」もかくやの「あだ討ち」として喝采を浴び、巷間流布したという。それから2年の月日が流れた頃、その当事者である「菊之助」の縁者だというひとりの若侍が、木挽町の芝居小屋を訪れる。「あだ討ち」の顛末を、関係者たちから直接聞き、その真相を探るためだ。そこから本作の物語は幕を開ける。

 この小説がユニークなのは、まずはその「構成」にあるだろう。「第一章」「第二章」ではなく「第一幕」「第二幕」と題された各章は、すべて異なる登場人物の「ひとり語り」によって成り立っているのだ。「木戸芸者の一八」「殺陣指南の与三郎」「衣装部屋のほたる」「小道具の久蔵の内儀」「戯作者の金治」……あだ討ちを果たすまでのあいだ、菊之助が懇意にしていたという芝居小屋の人々が、それぞれの言い回しで語る菊之助の人物像。さらにもうひとつ、若侍は江戸での菊之助の様子を尋ねると同時に、彼/彼女たちの「来し方」も聞くように命じられているというのだ。彼/彼女たちは、これまでどんな人生を歩んできて、この芝居小屋に出入りするようになったのか。なぜ、そんなことを? そもそも、この若侍は何者で、彼の本当の目的……そして、彼にそれを命じた人間の思惑は、どこにあるのだろうか。そんなミステリ小説のような醍醐味も本作にはあるのだ。

 果たして、芝居小屋に関わる人たちの人生は、それまで国元から出たことなかった武家の若侍にとって、想像もしたことがなかったような人生であった。まるで「人情もの」の小噺を聞いているかのような彼/彼女たちの悲喜こもごもの物語。それは、それぞれ一篇の独立した短編のように読むものの胸を打つ。ある登場人物は言う。「己の想いを貫くことの難しさも、道理のままに行かぬ割り切れなさも、この世の中には数多(あまた)ある。それを嘲笑うのではなく、ただ愧(は)じるのでもなく、しなやかに受け止め生きる人々がいる」のだ。そんな彼/彼女たちの共通点は、それぞれの人生のある時点において、「芝居」に「救われた」経験があるということだ。ある登場人物は語る。「何と言ったらいいんですかねえ……ああ、こんな世界があるのかって胸が躍りました」「もちろん噓の話だってことは分かってますよ。そこまで阿呆じゃありません。ただ、いっとき浮世を離れる気持ちよさがたまらなかった」。また、ある登場人物は、役者に言われた言葉を回想する。「忠っていう字は心の中って書くでしょう。心の真ん中から溢れるもんを、人に捧げるってことだと思うんで。それは何も、御国や御主だけじゃねえ。手前の目の前にいる数多の目に、芸を通してしっかり心を捧げる。それを見た人たちが、御国や御主に尽くす力になるって信じているんで」。

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