溶接工からジュニアアイドルまで、多様なテーマ並ぶ第169回芥川賞 候補5作品を徹底解説

芥川賞候補5作品を解説

 2023年7月19日(水)に第169回芥川賞が発表される。候補作は以下の5作品(50音順)。

・石田夏穂『我が手の太陽』(『群像』5月号)
・市川沙央『ハンチバック』(『文學界』5月号)
・児玉雨子『##NAME##』(『文藝』夏季号)
・千葉雅也『エレクトリック』(『新潮』2月号)
・乗代雄介『それは誠』(『文學界』6月号)

 市川氏・児玉氏は1回目、石田氏は2回目、千葉氏は3回目、乗代氏は4回目のノミネートである。以下、各作品を具体的に紹介していく。

石田夏穂『我が手の太陽』(『群像』5月号)

〈人間の目は、溶接池を直に見ることすらできない。太陽と同様、アークは直視できないのだ。だから自分らは遮光ガラス越しに作業し、そのための溶接の成される過程は、それに最も近いところにいる溶接工に、最もよく見えない。/しかし、蓋を開けるといつもできている。それが不思議で不自然ですらある。職歴二十年にして、自分のした仕事とはとても思えないのだ。あたかも自分ではない他の誰かがやったかのようだ。それか、この手が勝手に動いてくれたかのような。溶接中、自分の手は見えないから余計にそう思う。〉

 『我が友、スミス』(2022年)に続く2度目のノミネート。

 小学校の頃、授業で扱ったハンダゴテの熱に魅了された主人公・伊東は大人になり、現在では「カワダ工業」のエース的存在の溶接工である。だが、あるとき、自身の担当箇所の欠陥率の増加を知らされ、伊東はスランプに陥ってしまう。そのスランプの背後には、自らの仕事に「不合格(フェール)」を告げる「検査員」の幻があった。その幻は伊東の「職人」としての誇りを脅かし、ある「事件」を引き起こす。結果、本業の「溶接」ではなく「溶断」(伊東いわく「溶接」に大きく劣る野蛮な仕事)へと配置転換された伊東は、さらに暴走してしまう……。

 詳細に淡々と語られる現場のリアルと、昨日起きたというある「事件」のサスペンスの両輪で作品は駆動する。「溶接」をめぐる職人技の描写に「小説」を書く者の姿を重ねて読んだ。前回の選評で評価された「軽快な文章」(奥泉光)や「コミカルな空気感」(堀江敏幸)は、今作では一転して息を顰め、シリアスなトーンの作品となっている。それを作風の幅と取るか、失速と取るかは好みの問題だが、作中で強調されるとおり、赤く燃える「火らしい」火は所詮「安全」なのであって、静かに「幽霊のように向こうの透ける火」が真に「危険」なのである。冒頭から粛々と溜め込んだエネルギーをラスト数ページで一気に放出し、語りの熱量を急激に高める手技を、いち読者として興奮して読んだ。

市川沙央『ハンチバック』(『文學界』5月号)

〈私は紙の本を憎んでいた。目が見えること、本が持てること、ページがめくれること、読書姿勢が保てること、書店へ自由に買いに行けること、――5つの健常性を満たすことを要求する読書文化のマチズモを憎んでいた。その特権性に気づかない「本好き」たちの無知な傲慢さを憎んでいた。〉

 先日、第128回文學界新人賞を受けたデビュー作で今回初ノミネート。

 「私」は「ミオチュブラー・ミオパチー」のために「S字にたわんだ背骨」を持ち、人工呼吸器なしには生きられない「障害者」である。親が残した施設で、遺産の「不労所得」で暮らしながら大学の通信過程に通い、コタツ記事のライターのバイトで得られた収入を「寄付」している。「私」は自身のSNSで、出産は不可能でも「健常者」と同様に妊娠と中絶をしたいという願望を吐露していた。そのアカウントをヘルパーの(自称「弱者男性」)田中に特定された「私」は、逆に彼を自らの欲望に利用しようとする。

 タイトルは作中に言われるとおり「せむし」を意味する英単語Hunchbackから。「私」の言葉によるならば「社会の空気のリズムを乱す」存在である彼女の描写は、倫理の線を何重にも掻き乱し、目を覆いたくなるような「現実」(そして、もし仮にこれまで目を覆えていたならば、その特権性)を露悪的に突きつけてくる。

 ひとつネタバレが許されるなら、本作の終盤には、ある形式的な仕掛けが用意されている。それにより「私」の物語には、境遇の異なる(「私」のある「夢」のひとつの達成とも言うべき)視点から別種の意味が与えられる。その企みについてはおそらく複数の解釈が可能だが、少なくともその枠組みにより、先に述べたような「胎児殺し」を企む「私」当人が、この小説に設けられたひとつの枠内の胎児となり、殺害される、というアクロバットが成就されていると言えるだろう。

児玉雨子『##NAME##』(『文藝』夏季号)

〈穴だらけになっても笑っている美砂乃ちゃんを救おうと、私はその目をつんざく光の中に飛び込む。その弾丸は私に数発当たって穴を開ける。けれど私は数発で済んでいる。同じ場所に立っているのに蜂の巣になるまで撃たれているのは美砂乃ちゃんだけだった。〉

 作詞家等の活動で知られる著者の小説が今回初ノミネート。

 小学生の頃から「ジュニアアイドル」として活動していた「私」と、友人・美砂乃の関係を回想する作品である。その仕事には「スクール水着」や「レオタード」を着て「アイスキャンディ」を口にする姿を撮影される、という「性的」な内容も含まれた。ほとんど母親の意志でそうした労働環境に身を置いていた「私」にとっての救いが美砂乃の存在であり、自身より「人気」もあるらしい彼女に憧れを抱いていたが、あるとき、仕事への「本気」度の差が明らかになり彼女から絶縁され、現在では疎遠になっている。

 本作の語りは直線的ではなく、時間の前後を含みながら、小学校6年生、中学2年生、大学1年生、大学3年生の時点から過去が断片的・段階的に回想される。だが、そこで思い知らされるのは、彼女たちが行なっていた「仕事」が、決して過去の出来事とはなっておらず、それぞれの年代ごとに現在進行形の被害をもたらし続けている、という点である。ゆえに「私」はやがて、暗い過去を断ち切り、かけがえのない過去を保存するため、自ら名付け直すこと(つまりは親からの離脱)を選択する。それは、とあるマンガの「夢小説」を愛読しながらも、たとえば自分の名前を代入すべき「##NAME##」の欄を埋めずに読んでいたという「私」が、能動性の側に一歩踏み出す瞬間である。そしてなにより、そこで描かれた名付け直しという行為を文学的な象徴性にとどめおくのではなく、現実的で具体的な「改名手続き」実現の手順のインストールにまで読者の手をガシガシと引いていく作品終盤のアグレッシブさが心強い。

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