芥川賞受賞作「この世の喜びよ」評 「動きのない小説」に隠されたフォトショップ的多層構造

芥川賞受賞作「この世の喜びよ」評

 スーパーマーケットの衣料品フロアとフードコートのある一角。今年1月19日に芥川賞を受賞(佐藤厚志「荒地の家族」が同時受賞)した井戸川射子「この世の喜びよ」(『この世の喜びよ』(講談社)所収)は、ほぼここだけで話が展開していく。動きのない平板な話を想像するかもしれないが、物語の構造は立体的。画像編集ソフトで文字・画像・背景といったパーツを重ね合わせて合成写真を作るように、一見何の変哲もない景色の中に複数の要素が巧妙にレイアウトされた作品なのである。

 主人公は物語の語り手に〈あなた〉と呼ばれる、ショッピングセンター内のスーパーの喪服売り場で働く「穂賀」という名の女性。従業員出入口と喪服売り場の間には、小さくて古びたフードコートがある。そこでは最近、夕方から少女が長時間席に座っている。彼女がジュースのコップを倒してしまった時に、タオルを差し出した〈あなた〉。二人はフードコートで顔を合わせると会話を交わすようになり、その関係の行方が話の軸となる。

〈そうだね、あったかい時期ならどこでもいれるんだけど。寒くなってきちゃったからここにいるね、ジュース百五十円で、ずっと座ってられるし。うち、弟が一歳なんだ。ひどいよ、ずっと泣いてんだよ〉。少女の愚痴からは、母が3人目の子供を妊娠中で自分が幼い弟の世話に追われていることや、学校外のチームでサッカーをしていたが脚を悪くして辞めてしまったこと、もうすぐ引っ越しをする予定であることがわかる。〈差し引く、よく色んなものから引くんだね〉。聡明でちょっと生意気でもある少女の指摘からは、物事を考える時に世間の扱いや当事者の感情など、何かを差し引くことで客観性を保とうとする〈あなた〉の性格が露わとなる。

〈喪服のおばさん、あんたもやるか、メダルあげよか〉〈呼び方失礼ですよ、帽子さんとか呼ばれたら嫌っしょ〉。喪服売り場の向かいにあるゲームセンターの常連のおじいさんは言葉遣いこそ乱暴だが案外親切で、店員の多田は率直な物言いのできる好ましい人間である。それが〈あなた〉の休憩中の一場面から垣間見えたりもする。家族でもご近所さんでもない人々の何気ないやり取りから、登場人物の人となりが肉付けされていく。わざとらしい説明や過剰な自己紹介のない、適度な距離感の心地いい会話劇という一面が本作にはある。

〈あなた〉は人と接する時に、「過去の自分」を間に挟んでいる。少女が子供の面倒について話している時は、2人の娘を育てていた頃を思い出し、その時の〈あなた〉を労わるように〈大変だ〉と頷く。テナントの店員用休憩室で多田と居合わせた時は、彼と同じ23歳の頃の若々しい感覚を思い出す。多田の柔らかそうな肌を見て、大きくなる前の娘たちと肌を擦り合わせていた寝床での幸福な光景を思い出したりもする。日常の一コマから一人の女性の半生とそこでの喜びが浮かび上がるイメージの豊かさは、目の前の出来事だけで完結しない物語の奥行きを作品にもたらす。

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