川上未映子「イノセンスを原動力にして生きる語り手にすべてを託す」 蟹ブックス『黄色い家』読書会レポート

川上未映子『黄色い家』読書会

『黄色い家』の登場人物は不幸じゃない

蟹ブックス店内の様子

川上:読者の方から「私も一歩間違えれば花だった。今の恵まれた現実に感謝したい」というご感想を頂くこともありました。でも私は、この小説に出てくる誰一人も不幸だと思ってないんだよね。これから花ちゃんが――世間のある基準からみたらどんどん「悪く」なっていくかもしれないけど、どんどん不幸になっていくって、いっさい思わなかった。もちろんきつい場面にいくなと思うけど、でも人生って、きついじゃないですか。年を取れば取っていくほどきついものなんです。だから、ああいう風になっていくんだよね。「星が生まれるのも星屑からだよ」という言葉をSNSで読んだことがあって、好きなんですよ。屑の意味が変わるでしょう。

花田:やっぱり未映子さんの小説は人間賛歌であるように感じます。「この世の中はくだらない」といったメッセージが一切見当たらないんですよね。生きていることの輝きやダイナミズムを感じさせてくれるように思いました。

読書会参加者:読んでいて、花さんは全然ネガティブだとは感じませんでした。生きることに対して、全然諦めてなかった。「死にたい」といった発言が一切なかったし、みんなこんな境遇に陥っても、全く弱音をはかずにひたむきに頑張っていました。最後にこの小説でどの場面が一番不幸だったかを考えたら、花さんが黄美子さんと離れて大泣きしてしまうところが、もしかしたら一番の不幸な時期だったんじゃないか。黄美子さんと最初に出会った時と別れる時の人物像が違いすぎて。最初の像は神聖化された美しい姿で、だからこそ花さんはひたむきに生きることができた。ひたむきな女性と尊敬する人との関係性が伝わってきました。

川上:すごく嬉しいですね。最初にスナック「れもん」を一緒に始める前のところでは、黄美子さんに「わたしと一緒にくる?」と聞かれて、花は「いく」と言うんですね。でも最後に再会した時には今度は花のほうが「黄美子さん、わたしといこう」って言う。でも黄美子さんは「わたしは、いかない」と言うんだよね。20年越しに同じ会話をしながら、きれいに反転しているんです。

 私は、黄美子さんのような存在、この小説の中で「とろい」とされるような人たちが身近にいました。普通の大人とちょっと違うんだけど、子どもであるわけでもない。それが子どもの目からすると、すごくかっこよく見える瞬間があるんです、逸脱者というのかな。私が育ったところは福祉地域と言って、親が育てられないなどの事情で預けられた子たちがいる乳児園、身体障害、知的障害をもった子どもたちがいる愛育園などがありました。子どもの時から、園の子たちと一緒に遊んでいたんですよね。それが昭和の大阪の風景でした。

イノセンスが原動力である人物を描く

読書会参加者:僕は1980年生まれの花と同世代なんですが、昭和の名残のある雰囲気も好きでした。読んでいて感じたのが、花の恋愛に関する描写がほとんどないことです。あの時代のあの年代の女性では恋愛の話になることも多いと思います。恋愛をしないのはあえてそうしたのか、もしくは花は生活やお金のことで精一杯だったからなのでしょうか。

川上:私の小説に出てくる主人公は、のりのりで恋愛をする人が一人もいないんですよ。そんなに恋愛を低く見積もってるわけじゃないんだけど、私が最上に置いているものが、イノセンスなのかもしれないとは思っています。

 人は自分をいろいろアイデンティファイしますよね。女であること、母であること、もしくは偏差値がどれくらいだったかなど。自分のことを立ち返る時、何か寄る辺があるかなと思うんだけど、私にとってはそれがイノセンスなんだと思う。

 イノセンスって何かっていうと、子どもの頃に水を見て綺麗できらきらしていたこと、犬の足の裏のにおいとか、ぴちゃぴちゃして遊んだ泥の表面が温かかった、ということです。それでお腹は膨らまなかったけれど、確かにそれはすごく大事なものだった。言葉でも社会でもなくて、世界に触ってる感じがしていた。それが身体感覚を通じて残っているイマージュであり、ポエジーなんですよね。私はそれによって今、生きてるんだなって感じがする。お金も大事だし、子どももいるし、仕事をしていかないといけないんだけど、あなたは何によって生かされていますかと言われた時に、あの感覚がやってきますね。

 だから私は、人間はイノセンスでどこまでいけるんだろうって思うのかもしれません。もちろん、それは性愛やセックスと矛盾するものでもないんですけどね。一人称で、長い長い小説を一緒に読んでもらうためには、主人公を信頼してもらわないといけないですよね。そのとき、書き手としてはイノセンスを原動力にして生きる語り手にすべてを託す、ということになるのかもしれません。

* * *

 川上氏にとって対面では初めてだったという読書会イベント。「花」や「黄美子さん」をはじめとした登場人物が生き生きと身近に感じられるような対話がその後も続いた。参加者からは感想や質問が相次ぎ、川上氏もそれに対して熱く返答をしては逆質問を投げかけるなどし、予定時間を大幅に超えた大盛況の会となった。

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