『鬼滅の刃』で吾峠呼世晴が甦らせた「鬼」の多様なイメージとは? 死霊や妖怪の総称としての原型を辿る

『鬼滅の刃』が蘇らせた鬼のイメージ

 何をいまさら、という話かもしれないが、『鬼滅の刃』(吾峠呼世晴)を再読していて、ふと疑問に思うことがあった。それは、同作で描かれている「鬼」の姿かたちについてだ。

 たとえば、「鬼」と聞いて、あなたはとっさにどういうイメージを思い浮かべるだろうか。おそらくは、「頭には角、口には牙を生やし、虎の皮の褌(ふんどし)を締めた、筋骨逞しい人間に似た怪物」の姿ではないだろうか。

 しかし、周知のように、『鬼滅の刃』に出てくる鬼は、その種の「角を生やした怪物」だけとは限らない。試しに「十二鬼月」と呼ばれる最強の鬼たちの姿を思い浮かべてほしい。

 黒死牟、童磨、猗窩座、半天狗、玉壺、堕姫、妓夫太郎、獪岳、魘夢、累……。このうち、いま述べたような従来の鬼のイメージにかろうじて該当するのは、頭に禍々しい角を生やしている半天狗くらいではないだろうか。むろん、鬼は人間に化けることもあるから、彼らの首領である鬼舞辻無惨の平常時の姿や、童磨、堕姫あたりは、鬼だといわれればそうかと思うかもしれないが、黒死牟や猗窩座、ましてや玉壺を、本来ならば誰も鬼とは思うまい。

 にもかかわらず、私たちはふだん、『鬼滅の刃』を読んでいる時、そのことを疑問に思うことはまずないのである。猗窩座にせよ、玉壺にせよ、普通に「鬼」だと思いながら、物語を読み進めているのである。

 つまり、吾峠呼世晴は現代において“鬼のイメージ”を一新したともいえるのだが、その一方で、別の見方もできなくはないのだ。それは、『鬼滅の刃』で描かれているような「さまざまな姿かたちの怪物」こそが、実は、我が国でもともと考えられていた鬼であった、という見方だ。

かつて鬼は、“さまざまな恐ろしい形”をしていた

 元来、「鬼」という言葉には、大きく分けて2つの意味があるといっていい。1つは、伝説や昔話などに登場する、人間を襲う恐ろしい怪物のことであり、もう1つは、国家権力に抗う地方勢力や、法にとらわれないアウトサイダー、人里離れた山中で暮らす技能者たちなどのことである。

 あらためていうまでもなく、本稿で私が問題にしているのは前者についてであり、こちらの鬼の起源は、中国で「鬼(き)」と呼ばれていた存在――すなわち、「死者の霊魂」のことである。日本でも当初は死霊のことを鬼と呼んでいたようだが、やがてさまざまな“形”が与えられ、妖怪の総称としても「鬼」という言葉が用いられるようになった。

 つまり、比較的初期の段階での「鬼」という言葉は、あくまでも死霊ないし妖怪全般を指すものであり、「角を生やした怪物」という狭義のイメージに限定されてはいなかったのだ。じっさい、いわゆる「百鬼夜行」の図像には多種多様な“もののけ”の姿が描かれているし、『今昔物語』のとあるエピソードでは、「様々の怖(おそろ)し気(げ)なる形也」という風に鬼のことが記されている(巻第十四の第四十二)。

 そう、この「様々の怖し気なる形」という表現こそ、まさに、吾峠呼世晴が『鬼滅の刃』で提示した、鬼のイメージそのものといっていいだろう。

 いずれにせよ、時代の変遷とともに、しだいに「角を生やした怪物」として固定されていった鬼のイメージを、吾峠呼世晴は一旦解体し、再びもとの自由な形で空想の世界に甦らせたといえなくもない。おそらく今後、漫画や小説における鬼の描き方は、多かれ少なかれ変わっていくのではあるまいか。

※鬼舞辻の「つじ」は、一点しんにょうが正式表記。

【参考文献】
『鬼と日本人』小松和彦(角川ソフィア文庫)
『鬼むかし 昔話の世界』五来重(角川ソフィア文庫)
『今昔物語集 本朝部(上)』池上洵一編(岩波文庫)

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