杉江松恋の新鋭作家ハンティング 最強の主人公を描いた小説『成瀬は天下を取りにいく』の衝撃
成瀬あかりは最強の主人公である。六篇の配置はおもしろく、「ありがとう西武百貨店大津店」の後に入っている「膳所から来ました」はその後日譚である。西武大津閉店の余韻もまだ冷めやらぬ二学期早々、成瀬が「島崎、わたしはお笑いの頂点を目指そうと思う」と二人で組んでのM-1出場を宣言することから始まる。「膳所から来ました」というのは二人のつかみトークであり、島崎の発案でコンビ名もゼゼカラになった。この作品を含む四篇が書き下ろしで、「ありがとう西武大津百貨店」以外では三番目の「階段は走らない」が「小説新潮」2022年5月号に掲載された。これは成瀬のぐるりんワイド出演を見ていた人物が語り手であり、雑誌掲載時はこちらがスピンオフ的な直接の続篇だったのである。
ここから少しずつ時間が進み始める。「線がつながる」は成瀬が高校進学後で、島崎以外の人物が語り手になる。なぜか成瀬は入学と同時に丸坊主になっている。理由は実にらしいものである。ここで成瀬はかるた班に入り、「レッツゴーミシガン」では二年生になって全国大会に出場する。最後の「ときめき江州音頭」ではそれも引退して三年生、大学進学を目指して受験勉強中の成瀬自身が視点人物を務める。
一・二話で強烈な印象を与えておいて三話でいったん話の外に出し、四・五話と語り手を替えて島崎とは違う観点で成瀬の外形を描写する。最後に本人が語り手になるので、まるで彼女に吸引されて成瀬あかり世界に吸い込まれたかのようである。天才的な資質を持つ人を視点人物にして書くのは難しいと思うのだが、作者はある仕掛けを使って彼女の気持ちを揺らすことにより、孤高の主人公の傍に寄り添うことに成功した。どんな仕掛けかは書かないでおこう。作者はそれによって、奇矯な人物に見える成瀬にも豊かな内面があることを読者に実感させ、しかもそのことで過去五篇で醸成されたイメージを損なわせないという離れ業を成し遂げているのである。巧みだ。そして作者が成瀬あかりを愛しているのがよくわかる。こういう風に主人公を愛する小説は素晴らしい。作者の自己満足ではなく、一個の完成品として自身の主人公を世に誇りたい気持ちが伝わってくるからだ。
この作者に書かれる主人公は幸せだと思う。宮島未奈の書く物語をもっと読みたい。