70年代の「週刊少年チャンピオン」は「ジャンプ」超えの人気だった? 凄すぎる連載陣のラインナップ
現在、刊行されている週刊少年漫画雑誌は「週刊少年ジャンプ」「週刊少年マガジン」「週刊少年サンデー」「週刊少年チャンピオン」の4誌である。これらを総称して“4大漫画雑誌”“4大週刊少年誌”などと呼ぶことがある。2023年2月27日に日本雑誌協会が発表したデータによれば、それぞれの漫画雑誌の発行部数は以下のようになっている。
「週刊少年ジャンプ」:126万部
「週刊少年マガジン」:44万1000部
「週刊少年サンデー」:17万1818部
「週刊少年チャンピオン」:部数未詳(日本雑誌協会にデータがないため)
※いずれも日本雑誌協会発表 2022年10月~2022年12月の3ヶ月毎の平均印刷部数。
週刊少年漫画雑誌では依然として「ジャンプ」が独走状態にあるが、1970年代、実はその「ジャンプ」を上回っていた雑誌があるのだ。それが「チャンピオン」である。70年代の「チャンピオン」は堂々、200万部の発行部数を誇っていたことがあったのだ。1978年に「ジャンプ」の発行部数は、200万部を突破しているが、70年代はジャンプとチャンピオンが競い合いながら発行部数を伸ばしていた時代でもある。
この時代の「チャンピオン」の代表的な連載陣をみてみよう。
『ブラック・ジャック』(手塚治虫)
『がきデカ』(山上たつひこ)
『ドカベン』(水島新司)
『ふたりと5人』(吾妻ひでお)
『マカロニほうれん荘』(鴨川つばめ)
『キューティーハニー』(永井豪)
『750ライダー』(石井いさみ)
『魔太郎がくる!!』(藤子不二雄Ⓐ)
『マーズ』(横山光輝)
『恐怖新聞』(つのだじろう)
『番長惑星』(石ノ森章太郎)
漫画のタイトル、漫画家を見て衝撃を受けた人も多いのではないか。現在なら1本だけでも十分にメインを飾れるような、日本漫画史に残る傑作がこれほど掲載されていたのである。特に、『ブラック・ジャック』と『がきデカ』と『ドカベン』がひとつの雑誌に同時に掲載されていたなど、考えられるだろうか。いずれも現在も読み継がれる、日本を代表する漫画と言っていい。
歴史的ともいえるチャンピオンの躍進を支えたのが、カリスマ編集者として知られる壁村耐三であった。1972年に壁村が編集長に就任した当時、チャンピオンの発行部数は40万部前後、実売で24万部程度しかなかった。そこで壁村は大胆な改革を断行。連載漫画のほとんどを読み切り形式にし、新規読者に優しい誌面作りを行った。さらに劇画が多かった「マガジン」などに対抗し、王道をゆく少年漫画を多数掲載。こうした改革が当たり、1977年1月には200万部を突破、名実ともにナンバーワンの週刊少年漫画雑誌になったのである。
壁村にまつわる様々なエピソードは伝説と化しており、漫画家とたびたび対立し、口論になることも珍しくなかったとされる。手塚治虫に対しても容赦なく、手塚プロダクションに乗り込んでリンゴを壁にぶつけたなどの逸話が語り継がれている。その一方で、当時は既に終わった漫画家とみられていた手塚を評価し、『ブラック・ジャック』の連載を決定したのはほかならぬ壁村であった。
653万部を発行した「ジャンプ」の黄金時代も、『ドラゴンボール』『SLAM DUNK』などとてつもない名作漫画が掲載されていたことが話題になる。同様に「チャンピオン」の黄金時代も、ナンバーワン雑誌に相応しい最強の連載陣だったのだ。