芥川賞受賞作「この世の喜びよ」評 「動きのない小説」に隠されたフォトショップ的多層構造

芥川賞受賞作「この世の喜びよ」評

 舞台となるショッピングセンター自体にも、本作ならではの個性が潜んでいる。誰かのお裾分けの柚子がイラスト付きの紙と共に置かれている休憩室にはじまり、店員たちの腰に吊り下げたタンバリンが歩くごとに鳴っているゲームセンター、夜になると棒にライトが灯る屋上駐車場、スタイリッシュな仏壇の並ぶエレベータ横の仏具店、衣料品フロアの四角い柱、フードコートで天井を見上げた時に視界に入る〈剥き出しながらもピンクで塗られているため、目立たずに上で整列している〉配管や電気の管まで。風景を記憶するのが得意である、〈あなた〉の視点を借りた詳細な描写。そこから読み手は、脳内でショッピングセンター像が鮮明になっていく過程を楽しむこともできる。

 こうした要素が、〈あなた〉にとって「何を伝えればいいのか」のヒントにもなる。〈あなた〉は子育てや歳を重ねることについて、少女の助けとなる言葉を掛けたいと思いつつも、上手い言葉を見つけられないでいる。それでも記憶している出来事や感情や景色から言葉を導き出して伝えようとする様は、現実の創作における試行錯誤を投影しているようにも読み取れる。

 本作の美点はここでの答えを濁すことなく、少女そして読者の前に差し出す誠実さにある。芥川賞を受賞したことを差し引いても、作者のキャリアにおける記念碑的な作品になったとみて間違いはない。

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