Chim↑Pom卯城竜太が問う「アクション」の現在 大著『活動芸術論』の「ダーク」で「ディープ」な魅力に迫る

Chim↑Pom卯城竜太インタビュー
卯城竜太『活動芸術論』(イースト・プレス)

 森美術館での大規模回顧展「Chim↑Pom展:ハッピースプリング」(2022年2月18日~ 5月29日)はまだまだ記憶に新しいが、それから二か月ほどして、Chim↑Pom from Smappa!Group(以下Chim↑Pom )元リーダーの卯城竜太氏が600ページ近い渾身の大作『活動芸術論』(イースト・プレス)を上梓した。赤瀬川原平やネオダダ的な「アクション」のアップデートを目論んだ本書では、パフォーマンス・アートの歴史を巧みに整理しつつ、「迷惑系YouTuberやQアノンの議事堂襲撃はアートか?」、「だとしたら彼らと現代美術を分かつものは何か?」など、刺激的な問いが数多くなされている。他にも三島由紀夫の割腹自殺はアートか否か、SNS相互監視時代における「個と公」の関係の問い直し、大正時代の前衛アーティストの可能性、戦後民主主義の問題、白土三平に『ガロ』、スピヴァク以来の「プラネタリー」の復権などなど……多岐にわたりつつも互いに絡み合っていくテーマ群を前にして、読者は烈しい眩暈と知的好奇心に襲われるだろう。

 このたび、「暗黒批評家」を自認するインタヴュアーが、卯城氏にお話をうかがう機会を得た。堕天使ルシファーの話に始まり、90年代悪趣味文化を経由して、表現をめぐる「ダーク」へと話は推移し、最後には「オカルト」とアートをめぐる、これまでにない方向へと着地していった。場所はネオダダの拠点にして、建築家・磯崎新の処女作である聖地「ホワイトハウス」。「白い」家で行われた、「黒い」インタヴューの模様をここにお届けする。(後藤護)

Publish(出版)とPublic(公)

――Chim↑Pomの活動を総括し、なおかつ今まで培ってきた卯城さんの思想の集大成とも言える600ページ近い大著ですね。書くきっかけは何だったのかを教えていただけますか。

卯城竜太(以下:卯城) 会田誠さんが『げいさい』(文藝春秋)という小説を出版した時の編集者が、ここにいる穂原(俊二)さんなんですよ。穂原さんの仕事は昔から存じ上げていて、アートでいえば会田さんとか村上隆さんと一緒にやっている方というイメージがありましたね。で、会田さんが「卯城の本を出すのはどうでしょうか」と提案してくれたんです。僕の方でも自覚的にこういう風にまとめてみたいなという気があったんですよ。(参考:『キッパリ!』から『全裸監督』までベストセラー多数! 穂原俊二が明かす編集者人生「本は今生きている現実と必ずつながる」

――Chim↑Pomの大規模な回顧展である「Chim↑Pom展:ハッピースプリング」と裏表の関係になっているような本ですが、微妙に時期が遅れての刊行となりました(7月23日発売)。特にタイミングを合わせたわけではなかった?

卯城:いや、最初は合わせる予定でしたが、合わなくなりました(笑)。とにかく内容が長くなっていって、間に合わなくなるかもって話はずっとしてたんですが、穂原さんが「最後まで書き切りましょう」と言ってくれたので。

――その遅れのおかげで、この超巨大な果実が収穫できた(笑)。『活動芸術論』に、「これはChim↑Pomの一つのストーリーであって、全てではない」といった旨が書いてありました。なので、『活動芸術論』が作ったストーリーと、「ハッピースプリング」が作ったストーリーにもかなり違いはあるんですかね。

卯城:それはあると思います。「ハッピースプリング」は回顧展ですし、客観的にキュレーターもいるじゃないですか。あと森美術館は人がいっぱい集まる場所なので、アンダーグラウンドな回顧展をやるのとは全然違うものになってるはずです。この本は「アクション」について考える中で、自分でセレクトしたChim↑Pomのプロジェクトが入っているので、割と恣意的(オビチュアル)というか。

――公と個の関係がこの本の主たるテーマでしたが、「ハッピースプリング」展が公で、『活動芸術論』が個という対比イメージもあったでしょうか。

卯城:ただ公と個が結局いっしょのことを言ってるんじゃないかと、この本の最後の方には辿り着きました。アーティストの松田修くんとの対談本『公の時代』(朝日出版社)を出したころには、わりと公と個がはっきり分けられて考えられたんですが。

――なるほど、『公の時代』からさらに思考が深まって、本書では公と個が入れ子になる刺激的な内容で終わってましたね。なぜこの話をしたかというと、publish(出版)が語源的にpublic(公)と関わるからです。出版には個がパーソナルに思ったことを、公に問うという意味合いがあると思います。でも今の出版は、ネットの形成する公にチューニングしすぎるあまり、公→公への運動しかない。個→公というあるべき姿が失われている。だからヘイト本とか自己啓発本を筆頭に、ネット民のモラルらしきものにチューニングされた本が量産されている。そういうときに、これはめちゃくちゃエクストリームに個な本だなと。個を突き詰めた結果、逆説的に新たな公共圏としてこの本が開かれていく印象を受けました。

卯城:『公の時代』のころには個へのこだわりがテーマだったんです。アーティストって個の部分が強いというか。パブリッシュで言うと、アーティストも自分の個を展覧会とかでパブリックに問うじゃないですか。となると、アーティストは個であると同時に、公を作っている部分もあるし、自分がパブリックになりかわって話すこともある。活動の中でいろいろ「公」が錯綜しながら、自分の中で衝突があったんじゃないかと思うんですよ。

ルシファーとの闘い――はじまりの「にんげんレストラン」

――この本で一番驚いたのが、「にんげんレストラン」(ホストクラブSmappa! Groupの会長・手塚マキらが運営していた歌舞伎町ブックセンタービルを舞台に、2週間限定でレストランをオープン。そこでさまざまなパフォーマンスが行われた)の開催中に、歌舞伎町で多発した飛び降り自殺の話で始まることでした。言い方は悪いですが、ある意味、外ではナマの死体展示がされている一方、「にんげんレストラン」の会場では松田修さんらが自らの生体展示をしている。その生と死の対立構造が、意味深でスリリングでした。

卯城:「展示」というのはあくまでその意図が必要かと思うので僕はそう言えませんが、「状況」と「展示」が影響しあって意図していたものからは外れていくようなイベントではありました。ビル自体も「にんげんレストラン」を最期に取り壊されるし、つまり死の直前の生の発露みたいな輝きに包まれていたと思います。生と死があれほど絡み合った数日間は僕の人生では経験がなく、たしかに変なゾーンに突入していたように思います。

――90年代の悪趣味文化であれば、飛び降り自殺を「アート」だ「アクション」だと言う感性があったと思うんですよ。ただ卯城さんがこの種の感性に対抗したいのだろうと分かったのは、『活動芸術論』第一部の最後が、シュトックハウゼンの9・11テロへの発言と、それへの応答だったからです。テロは「ルシファーの行う戦争のアートだ」というシュトックハウゼンの言葉(のち誤報と判明)に、ルシファーのアートに光で立ち向かうのがアーティストなのだと補足した浅田彰さんの文章が引用されていましたね。だから、第一部の最初と最後が、飛び降り自殺やテロを「アート」と呼ぶ感性に対抗するような「光」を探求している点で、円環しているようなイメージでした。

卯城:言われてみれば、確かにそういう構造だったかもしれませんね。美術史家の山本浩貴くんが「ソーシャリー・エンゲイジド・アート」など美術館外でのアート活動を紹介する講義の後に、お客さんから「Qアノンの議事堂襲撃はアートですか?」と質問されたらしく、僕はそれを聞いて結構興味深く受け止めたんですよ。というのも、違うとしたら何をもって違うと言えばいいのか。それが第一部最後のルシファーのアートの話にもなっていくんですけど、自分のミッションとしてガツンと来たんですね。この本では赤瀬川原平さんの『いまやアクションあるのみ!』(筑摩書房)をアップデートすると穂原さんと話し合ったんですが、それもあって最初は「にんげんレストラン」から始めたいと思ったんですよ。

 それにそれまで直接行動でやってきたChim↑Pomが、わりとオーガナイザーとか運営側に回って、行為や行動を生み出すための受け皿になったというか、初めて個から公になった瞬間だとも思っていて。「にんげんレストラン」は飛び降り自殺も込みで、アクシデントも受け入れながら、全部ぐちゃぐちゃにミックスしていっちゃったんですよね。そうすると全体像が誰にも掴めなくなっていくというか、でもそこで公というものにピンときたところがあったんですよ。いま公共とか公というものが明らかになりすぎていて、固定化されてイメージに対して忖度しまくっちゃったりするけれども、公は個のアクションによってどんどん変容していくものです。

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