新進作家・くどうれいん「人生ってどうなるか分からない」会社員との両立から専業作家への道程
リトルプレスながら異例の1万部以上を発行した食エッセイ集『わたしを空腹にしないほうがいい』(BOOKNERD)にはじまり、初の中編小説にして芥川賞候補となった『氷柱の声』(講談社)、最近では絵本『あんまりすてきだったから』(ほるぷ出版)も手掛けるなど、文芸の世界でさまざまな発表をしてきた作家のくどうれいん。
9月には、文芸雑誌「群像」(講談社)で連載していた『日日是目分量』をまとめたエッセイ集を上梓した。みずみずしい筆致で自身の生活を捉えた『虎のたましい人魚の涙』について、盛岡出身で現在もその地で暮らす彼女の生い立ち、そして会社員と物書きの“二足のわらじ生活”から専業作家へと独立を果たした今の思いについて聞いた。
作家活動のベースをつくった学生時代
――『虎のたましい人魚の涙』の発売おめでとうございます。くどうさんは短歌、エッセイ、小説、絵本などさまざまな文芸ジャンルで書かれていますが、どのようなきっかけで文章を書き始めたのでしょうか。
くどう:石川啄木にゆかりのある玉山村(現在は盛岡市に編入合併)の渋民小学校に通っていて、読書感想文と詩のコンクールがあったんです。そこで国語の先生から「書いてみない?」とたまたま言われたのが最初でした。学級会長とかを進んでやるタイプの生徒だったので、白羽の矢が立てやすかったんだと思います。
そこで書いた作品で江間章子賞をいただいたんですね。そうしたら家族がものすごく喜んでくれて。『のうみそ』っていう詩だったんですけど、おじいちゃんに皺があるのは、勉強しすぎて脳みそがはみ出したからという詩でした。他の生徒が「風のささやき」とか「さくらんぼ」とかで入賞しているなかで、私の表彰の時だけ「脳みそ?」ってざわついていましたが(笑)。その時の受賞を周りが褒めてくれたので、それで味をしめて今に至るといっても過言ではないですね。
――小学校の頃から文芸に触れられていたのですね。その後は、どのような関わり方をしていたのでしょうか。
くどう:毎年の読書感想文や学期ごとの宿題としての作文など、他のみんなが嫌がるところをノリノリで書いていました。外に向けて発信という意味では、中学2年生頃からブログが流行り始めたので、自分のブログを立ち上げて隠れて書いていました。今思うと絶対に読まれていたと思うけど(笑)。
――そして進学した高校は文芸部の活動が活発なところでしたね。
くどう:母がもともと書店員で、自身が作家に憧れていたこともあったと思います。進学を考える時に、この高校の文芸部は文部科学大臣賞とか読売新聞社賞とか取ってるよ、と教えてくれて入学しました。でも、書くのが好きだと思ってはいたのですが、文芸部に入りたいとは思いませんでした。実際に体験入部をしてみたのですが、漫画やアニメが好きな人が多くて、私は漫画もアニメもほとんど知らなかったので話が合わないと思ってしまったんです。悩んでいた時にたまたま剣道場を通りがかり、剣道部がとても格好よく見えました。すぐに入部したんですけど、私、運動が全然できなくて。蹲踞(そんきょ)というしゃがむ姿勢も辛くて、結局文芸部に入ることにしたんです。
――文芸部ではどんな活動をしていたんですか?
くどう:文芸部では、俳句、短歌、詩、随筆、小説、戯曲、児童文学という7ジャンルの創作活動をしていました。コンクールを目指してそれぞれが書いて、週2回の集まりでお互いの作品を読みあって赤字を入れるという活動がメインでした。県や全国のコンクールがあり、そこでは部活でまとめた「部誌」というジャンルもあるので、それを充実させるためにみんなで企画を立てて一冊にまとめる。それこそ「群像」を作るような感じでしたね。部誌を作っていると、短歌の本数が足りていないとか、小説がまだ少ないとかがあるので、みんなジャンルをまたいで書いていました。今となって私はマルチ作家みたいに言われるのですが、私としては部活動がずっと続いている感じで、多ジャンルを書いているという感覚はあまりないんですよね。
――高校で今の作家活動のベースがすでに出来上がっていたのですね。その後、処女作である『私を空腹にしないほうがいい』を出されました。
くどう:大学進学でもいろいろあって、それは『うたうおばけ』(書肆侃侃房)の「一千万円分の不幸」に書きました。行くはずだった地元の大学の推薦入試の日程を間違えて、落ちてしまって。仙台の大学でまちづくりを学ぶことになったんです。地元の大学を出て、国語の先生にでもなるんだろうなというぼんやりとした未来を考えていたんですけど、自分の未来を自分の手によってつぶしてしまった。どうなっちゃうんだろうと思っていたところ、東北大学の短歌会に誘ってもらって、短歌や俳句の同世代の友人もたくさんできました。そこで俳人の神野紗季さんから「ウェブマガジンで連載してみない?」と誘われて、書き溜めた俳句とエッセイをまとめて自費出版したのが、『わたしを空腹にしないほうがいい』でした。