【建築と漫画】宮崎駿、漫☆画太郎も好んで描いた文明開化を象徴する「擬洋風建築」ってなに?
世界的巨匠を引きつける独創的な建築
ギリシャ神殿風を彷彿とさせる柱や、洋風のベランダがあったと思えば、屋根は寺院を思わせる瓦葺き。明治時代の始まり頃に出現した、洋風とも和風とも似つかない奇妙奇天烈で奇々怪々な建築を“擬洋風建築”と呼ぶ。文明開化を象徴する学校や官公庁舎に多くみられる造りで、なかにはハイカラ好きな有力者が自宅を擬洋風で建てた例もある。
擬洋風建築の魅力を一言で言うならば、摩訶不思議なデザインに尽きる。和風の屋根に時計塔がのっているちぐはぐさや、オレンジやライトブルーなど一度見たら忘れられない強烈な色彩感覚。こうした現代の常識ではなかなか思いつかない独創的なデザインは、現代に活躍する多くのアーティストをも虜にしてきた。
日本が誇るアニメーション映画監督の宮崎駿も、擬洋風建築に魅せられた人物のひとりだ。宮崎が監督を務めた『となりのトトロ』のサツキとメイの家をはじめ、『天空の城ラピュタ』のラピュタなど、スタジオジブリのアニメにはユニークな建築が多数登場する。特に『千と千尋の神隠し』は建築好きにはたまらない名作だろう。
『千と千尋の神隠し』では、昭和初期の東京に多く建てられた看板建築を思わせる町並みが見られるなど、宮崎の建築への造詣の深さがうかがえる。なかでも、主人公の千尋が住み込みで働く油屋は、注目に値する建築だ。宮崎と親交もある建築史家の藤森照信は、油屋には擬洋風建築らしさが溢れていると語る。正面には寺院などに見られる唐破風がつき、全体がギラっとしている点にそれらしさを感じるのだそうだ。
擬洋風建築の聖地、山形県
擬洋風建築が数多く建設されたのが山形県である。その流行の引き金を引いたのが、明治7年(1874)に酒田県令に赴任した三島通庸だ。三島は県内各地に道路、橋、トンネルを次々に完成させた業績から土木県令といわれたが、特に心血を注いだのが擬洋風建築の建設だった。新時代の訪れを人々に印象付けるには、建築ほど便利なものはない。明治政府の中で建築を好んだのは鹿鳴館を建設した井上薫だが、三島もまた、建築のもつ力に魅せられた人物だったのである。
明治9年(1876)に山形県令に就任した三島は、一層の力を入れて都市の改造を進めていく。明治10年代に入ると、山形市内には擬洋風建築が立ち並ぶ日本らしからぬ街並みが出現した。三島が主導して整備された擬洋風建築の中でも、傑作中の傑作として知られるのが旧済生館本館である。巨大な塔がそびえ、全体をオレンジ色に塗った奇抜なデザインだが、この建築、なんと病院として建てられたのである。日本の歴史上、ここまでド派手な病院は他にないのではないか。これほどの大作にもかかわらず、具体的な設計者が判明していないのも奇妙だが、藤森は実質的なデザイナーは三島本人だったとみている。
そんな旧済生館本館を漫画に描いたのが、ギャグ漫画界の鬼才として評される漫☆画太郎である。オムニバス形式の作品集『世にも奇妙な漫☆画太郎』の表紙には、旧済生館本館をモデルにした建築が描かれている。どうやら画太郎はこの建築の中に1人、住んでいる設定のようだ。画太郎がどのように旧済生館本館を知ったのかは定かではない。現地を訪れているのか、もしくは洋館の写真集やネットの画像などを見て自らの屋敷にふさわしいと思い、選んだのかもしれない。
ちなみに、画太郎はスタジオジブリの入社試験を受けたことがあるという大のジブリファンでもある。擬洋風建築を好むという点で、実は宮崎と同じ感性を宿しているのだろうか。
世界的な巨匠である宮崎駿と人破天荒な作風で知られる漫☆画太郎、2人の天才を引きつけるほどのパワーが宿っているのが擬洋風建築なのだ。