性被害を受けた男女が性差に対峙するーー鳥飼茜による意欲作『先生の白い嘘』を読む
最近、実写ドラマが話題になった『ロマンス暴風域』。原作者の鳥飼茜さんは、『先生の白い嘘』(講談社)という切実な作品を描いている。漫画『ロマンス暴風域』(扶桑社)では社会から求められる男性性に苦しむ男性の行き着く先が描かれているが、『先生の白い嘘』は、肉体的・精神的な意味での女性性と男性性、そしてその間に横たわる鉄壁のような性差が題材だ。
『先生の白い嘘』は2013年から2017年のあいだ講談社の漫画雑誌「月刊モーニング·ツー」で連載された作品で、異性に性的暴行を受けたふたりの男女が軸になっている。
割りばしを2本に割るとき、必ずどちらかに欠けた部分が残る。序盤、主人公の高校教師・原美鈴はこれを人間の不平等さに例える。積極的と消極的、お金持ちと中流以下、そして男と女……彼女は自らを「いつも少し取り分がすくない方にいる」と評する。
そのふたりのうちの女性は高校教師である主人公の美鈴で、4年前、親友の恋人・早藤雅巳にレイプされて以来、早藤から繰り返し暴力的な性行為を強いられており、彼自分が女であることから来る苦しみ、恐怖、痛みを日々感じている。
彼女は早藤に傷つけられる一方で、時に早藤との性行為が快楽につながることで自分自身の女性性にも嫌悪感を抱いており、「私が女のせい」と思い込むようになってしまった。心は身体にも影響を及ぼして味覚障害や睡眠障害を患い、一年以上生理が来ていない。
一方、女性から性行為を強いられた男性は美鈴の担任クラスの男子生徒・新妻祐希である。彼はアルバイト先の店長の妻に強制的に性行為を強いられ、女性の肉体に恐怖心を抱くようになってしまった。担任教師として彼から話を聞いた美鈴は、自分が早藤に初めて犯された時のことを思い出し、泣きながら言う。
アンタが怖いのは女のアソコじゃない…
男に生まれてしまった自分自身よ
この事実は新妻の心を揺り動かし、やがて彼は美鈴に恋をして彼女を救いたいと願うようになる。そしてまた、彼は自分が女性に暴行された傷を抱えながらも「先生に触れたい」と切望する。
一方でそれは、性的暴行により抑圧された美鈴と向き合うことを意味していて、彼女に危害を加えた男性(早藤)と自分が同じ性を持つこと、たとえ愛情があっても美鈴に触れることは暴力なのではないかと、自問自答することでもあった。
象徴的なのは3巻で新妻が美鈴の家を訪れる場面である。自分の性被害を語ったあと、美鈴が泣いたのでそれを謝りたくて新妻は来たのだが、美鈴は夜に男性が家に来てふたりきりになることに恐怖を感じる。とはいえ、美鈴と新妻は先生と生徒という関係であるため、新妻自身は相手が女性であっても先生の家に来ることに抵抗感がなく、美鈴のためと思って渡した防犯ブザーを鳴らされるまで、彼女の恐怖に気づかない。
美鈴と新妻は互いに異性に望まない性行為を強いられた立場であるが、そこには性的な場面で強いとされる男性と、弱いとされる女性の隔たりがある。防犯ブザーの音が家中に響き渡り、美鈴を新妻が押し倒す体勢でふたりは倒れて美鈴が思わず悲鳴をあげそうになったとき、新妻は彼女の口をふさいでしまう。
ここで新妻は、自らが男性であることからくる加害性を自覚して、帰り道、涙を流す。新妻はよく泣く。彼は自身が女性に暴行された経験があるからこそ、先生(美鈴)のつらさを共に感じたい、先生を救いたいと願うが、男性の体を持っている限りそれは不可能に近いことだ。それを痛感しながらも新妻はどんどんと美鈴のことが好きになっていく。しかしその「好き」は性的欲求につながる恋愛感情であり、男性である新妻は自らの意思が伴わなくても性行為ができる肉体を持っている。時に早藤のように、性行為を望まない女性を力で屈服させることすらできてしまう男性性への嫌悪感を募らせ、その気持ちが自分に向かったとき、美鈴の痛みを共に感じることができない事実に苦しみ泣くのだ。
美鈴も自分に気持ちをぶつけてきた新妻に惹かれるようになり、四年前に暴行されて以来初めて、男性と、新妻と触れ合いたいと願う。だがそれは相手の肉体が持つ「性」を許すことでもあり、早藤の支配から逃れられない彼女にとって、新妻とセックスをしたいという気持ちがあっても実際にそれをすることは困難だった。
美鈴が新妻と愛し合うためには、どんなに心や肉体が痛んでつらくても、早藤の暴行によって生まれた男性性に対する憎しみや、自らが女性の体を持っていることへの嫌悪感を手放して許容する必要がある。
そんな中、美鈴の自称「親友」で早藤の婚約者である渕野美奈子が妊娠する。美奈子は利己的で虚言壁があり、マウントをとるために美鈴といっしょにいるようないわゆる「いやな女」で、美鈴も自分と美奈子は親友とはほど遠いと感じているが、美奈子の妊娠は、人と人との間に希望が生まれることもあると美鈴に気づかせた。