ティモンディ前田裕太×大森望が語る、『三体』シリーズを最後まで読むべき理由 「宇宙の果てまで長い旅をした」
劉慈欣『三体』3部作は、世界的にヒットした。異星の三体文明が地球を侵略しようとしていると判明する『三体』。人類が対抗しようと「面壁計画(ウォールフェイサー・プロジェクト)を発動する『三体Ⅱ 黒暗森林』上下。その背後で侵略艦隊にスパイを送りこもうと「階梯計画」が実行される『三体Ⅲ 死神永生』上下。長い時間にまたがり、広大な宇宙へ、いくつもの次元へ物語が展開するこの中国SFは、圧倒的に面白い。とはいえ、全5巻の巨編であるだけに途中で挫折する人もいるようだ。そこで今回、『三体』の熱烈なファンである芸人のティモンディ・前田裕太氏と、同作の日本語訳チームのアンカーを務めた大森望氏に、あらためて作品の魅力を語ってもらった。(円堂都司昭/6月20日取材・構成)
前田「5分間くらい昇天しちゃった」
――前田さんが『三体』と出会ったきっかけは。前田:アメリカのオバマ元大統領が『三体』のことを話しているのを知って、どんな作品だろうと思って手にとったら、抜け出せなくなっちゃった。いろいろSFを読んだなかでも段違いな感じがしました。それまではSF的なアイデアを1つずつ使っているとか、2つくらい組みあわせた小説は読んでいましたけど、『三体』はこれでもかっていうくらいてんこ盛りじゃないですか。情報量の濃さ、SFとしての密度の濃さがあった。大森さんは、翻訳するなかでどんな風に感じましたか。
大森:昔のSFのような懐かしさとワクワク感ですね。異星文明が大艦隊で侵略してくるような大がかりな話は、今は書きにくい。日本でも英語圏でも、そういう設定に挑戦するSF作家はほとんどいないんです。なのに、それを正面から書いて、しかもすごく面白い。
前田:侵略というと、よくあるSF映画のようにリアリティがないものになりそうだけど……。
大森:マーベル映画的な派手なアクションになって、地球が一丸となって巨大な敵を迎え撃つとか、そういうものを予想していると、『三体』は、いきなり1960年代の文化大革命の中国から始まる。
前田:そこもリアリティがあって、いってしまえば自分も『三体』の世界の1人として物語のなかにいる気持ちになれるんです。
大森:現代パートは特にそう。普通に暮らしている主人公の身に次々に不思議な現象が襲いかかるサスペンス。
前田:そのサスペンスも、いきすぎていないところと、いきすぎている(笑)ところのバランスがいい。
大森:最初は、趣味で撮ってる写真に怪しいカウントダウンの数字が写って、この数字はなんだろう? って『リング』みたいなホラー的な導入で。
前田:そこからあんなにでかいスケールの話へつながるとは思えない。
大森:でも、起きている現象は小さいけれど、それが呪いとか超自然現象ではなく、科学的に説明できることだとしたら、その裏でものすごいことが起きているんだというのをちゃんとみせてくれる。
前田:『Ⅲ』まで読み終えた時には、宇宙の果てまで長い旅をしたというか、5分間くらい昇天しちゃった感じでした。本を読んで旅だと思わせるためには、理論や説得力が必要ですけど、そこはけっこう手厚く語られていますよね。
大森:ただ、途中で脱落する人もいるんですよね。それこそ、最初の文化大革命のところで、けっこう荘重で文学的な描写が続いて、「思ってたのと違う」となる人もいるし。その後、現代になってすごいことが起こり始めるのはいいけど、ふだんSFを読まない人だと、宇宙とか次元とかの話が出てきたとたん、わかんないって投げちゃったり。そのへん、抵抗はなかったですか。
前田:確かに最初のほうは、歴史の問題がかかわってくるので、ちょっとハードルが高かったです。でも、こういういいかたはおかしいかもしれないですけど、その後の面白さを、説得力を増すための1巻という印象もあるんです。
大森:1巻があったから物語の土台ができて、2巻目以降のすごい大風呂敷が広げられるようになる。
前田:ただ、難解な言葉とか、自分の引き出しにないものが出てくると、ちょっと飛ばしながら読んでいました。
大森:その読み方が正解ですよ。SF好きの人だって、わからない部分は飛ばして、あとで気になった時に戻って読み直して、「ああ、そういうことだったのか」と理解する。本はいくらでも戻れるから、多少わからなくても大丈夫。隅から隅までわかってなくても、十二分に楽しめますしね。普通の小説だと、わからない話が出てくることはめったにないから、わからないことが書かれていることに慣れていない人が多い。だからそこでストップしてしまうんだけど、わからない部分はカッコに入れて進む読みかたを覚えると、気にならなくなります。
大森「答え合わせがないままどんどん話が進んでいく」
――例えば、第1部の主人公の葉文潔は「よう・ぶんけつ」と「イエ・ウェンジェ」、日本風と中国風の2種類の読みかたが本では示されています。また、作中には独特な用語がたくさん出てきくる。そういった部分はどうでしたか。前田:かなりの人数が登場するので1人1人覚えようとしてもきりがない。だから、よく出てくる人を自然に覚えていくくらいでいいというか。あとは、本に入っていた人物表が活躍しました。
大森:「葉文潔なんて“ハーちゃん”て呼べばいいんですよ」と、日本在住の中国人SF作家の陸秋槎さんが言ってましたけど、自分が覚えやすい読み方で頭に入れればいいと思います。僕は「ようぶんけつ」「おうびょう」で単語登録してますよ。最近の翻訳小説では、ピンイン(中国語の発音)をカタカナでルビにする表記が主流ですが、長くなるし覚えにくい。毎回ぜんぶルビをつけてくれという人や、漢字があるとややこしいからカタカナにしてくれという人もいますけど、日本の読者はせっかく漢字が読めるんだし、漢字のほうが覚えやすいと思うんですよね。『三体』はオーディオブックもよく売れていて、聞いている人がたくさんいますけど、全部カタカナ読みだから、最初は聞きなじみがなくて大変みたいですね。
造語についてもそうです。国連とかの話になると、すべて中国語で通しているわけでもなく、当然、英語も入ってくるだろうということで、英語のカタカナ表記をルビにしている言葉もあります。『黒暗森林』には「面壁者」(三体文明への対抗策を考える者)と「破壁人」(面壁者の策を阻もうとする者)が出てきますが、それぞれ「ウォールフェイサー」「ウォールブレイカー」とルビがついてます。オーディオブックではすべてカタカナのほうで読まれてて、どっちがいいのか悩ましいところですね。日本語では「面壁者(めんぺきしゃ)」「破壁人(はへきじん)」のつもりなんですが、“面壁人”とか“破壁者”とか書いてる人もいて。覚えにくくてすみません。実は、原文ではどちらも「人」なんですけど、国連が“面壁人”を指名しますというのは、日本語としてちょっと違和感があったので「面壁者」にしたんです。中国語は漢字だから、全部そのまま日本語にしようとすればできる。例えば、略称ETOの団体は、原語では「地球三体組織」ですけど、日本人は作った組織の名を普通「~組織」とは呼ばないから、「地球三体協会」にしました。中国語のままだと若干ニュアンスが変わったりするんです。
前田:なじみのある言葉に置き換えるわけですね。あー、だったら、僕がサーッと読み飛ばしたところに、大森さんのそういう細かな工夫があったかもしれないですよね(笑)。申し訳ないっ!
大森:一番混乱したのは『黒暗森林』。日本人なら「黒暗森林」とはいわない。英語ではdark foret、日本語なら「暗い森」ですが、漢字4文字で書くなら「暗黒森林」でしょう。ところが、タイトルは原題のままにしたいと早川書房から言われて、『三体Ⅱ 黒暗森林』になった。じゃあ、タイトルはそれでいいけど、本文の中では「暗黒森林」にしようという方針を決めたんですね。ところが、その方針が伝わってなくて、最後のゲラの段階で編集者が全部、「黒暗森林」に直していた(笑)。
前田:むこうはむこうで、気をきかせたつもりだったんですね(笑)。
大森:コロナ禍になって、打ち合わせの機会も減り、メールのやりとりで進めていたから、意思疎通の不備が発生したんです。まあ、『黒暗森林』の中で実際に言葉として「黒暗森林」が出てくるのは4箇所だけなんですけど。
前田:そんなこともあったんですねー。難しい理論を追いきれなかったり、僕にはざっくりと骨組みしかわかっていないところもまだあるんですけど、大森さんが読みやすく翻訳してくれたおかげで、それでもとても面白く読めました。
大森:劉慈欣が上手いんです。『三体』では、「三体」というVRゲームにログインすることで、異星文明の奇妙な世界を自分のことのように体験できるんですが、三体人がほんとうにあんな感じなのかどうかは、実は明かされない。地球では名だたる科学者が連続自殺する事件があって、その背後では地球三体協会と三体文明が糸を引いているらしい……という構図は示されるんですが、はっきりした答え合わせがない。普通なら探偵役が犯行方法と動機を解明するところなのに、一足飛びに対策のシーンになる。三体人の行動原理は、地球人が推測しているだけ。なぜ主人公の汪淼が狙われたのかについても、はっきりしたことがわからない。犯人がすべてを認めて告白するみたいなシーンがないんです。実は答え合わせがないままどんどん話が進んでいく。読者に言質を与えないというか、三体人はこうだと作者の俺ははっきり書いてないよね、というような(笑)。隅から隅まで作者に説明されると想像の余地が残らないので、わざとあちこちに余白を残している感じですね。
けっこう無茶なことも書いているので、作者がどこまで本気かわからない。典型的なのが三体文明の秘密兵器、原子より小さい超高性能スーパーコンピュータの智子(ソフォン)ですね。11次元の陽子を2次元に展開して、惑星くらいのサイズになったところで回路を焼きつけてつくるというんですが、その途中、何度か失敗する。2次元にするつもりが間違って1次元になってしまったときは、一個の陽子がものすごく長くて細い線になってしまう。超長い線がそのへんにいっぱいふわふわしているから、三体人の首領が「ああ、うっとおしい」と手を振りまわす(笑)とか。カズレーザーの「ここWi-Fi飛んでんな」ってギャグみたいな。東映のスーパー戦隊シリーズで敵の怪人が人間界を侵略する作戦をたてては失敗するようなノリで、どう見てもコメディになってる。高次元の物質を低次元に展開するっていうのも一発ギャグ的なネタかなと思ってると、実はそれが伏線になってて、さらに規模を拡張したかたちで『三体Ⅲ 死神永生』に関わってくる。劉慈欣は最初から三部作のプロットをぜんぶ考えていたそうですが、つまりギャグとしか思えなかった部分が、シリーズ全体の根幹にかかわる設定、世界観になっていたりする。
前田:読んでいると、作中の理論がどれだけ実現可能か、今の科学技術とどれだけ乖離があるのかよくわからないことも多い。僕の場合はそのぶん、逆にこんなぶっ飛んでいるところだって、何万年後かには人類が頑張り続ければありえなくもないかもしれないな、と思えるからこそ、没入感みたいなものがありました。