劉慈欣『三体』の原点がここにーー短編集『円』が湛える、SFの根源的な輝き
中国SFが、日本でベストセラーになる。劉慈欣の『三体』がヒットしたときは、大いに驚いたものだ。いままで散発的に紹介されてきた中国SFだが、近年になってようやく注目が集まるようになってきた。そのような状況が、追い風になった面もあるだろう。だが『三体』がヒットした一番の理由は、作品そのものが持つ圧倒的な面白さだ。文革期の最中の、ショッキングなエピソードから始まるストーリーは、予想もつかない壮大なスケールの物語に発展。SFのアイデアを山のように盛り込み、ページを捲る手が止まらないリーダビリティを獲得しているのである。
そのような作品だけに、多くの書評で取り上げられ、ネットでも話題になった。作品について熱く語る文章を目にして、興味を抱いた人も少なからずいるはずだ。とはいえ『三体』は三部作であり、すべてが上下巻。単行本六冊の大作である。あまりの長さに躊躇してしまうかもしれない。そんな人にお勧めしたいのが、『円 劉慈欣短篇集』だ。デビュー作「鯨歌」を含む十三作が収録されている。短篇集なので気軽に読め、なおかつ劉慈欣という作家の魅力を理解することができる。この作者の入門書になっているのだ。
冒頭の「鯨歌」は、麻薬カルテルのトップのワーナーが、アメリカに麻薬を密輸できず苦慮している場面から始まる。あの手この手を使っても、ニュートリノ探知機に阻止されてしまうのだ。そのワーナーに、息子の連れてきた海洋生物学者が、ぶっ飛んだ提案をする。タイトルで察しがつくだろうから書いてしまうが、鯨を利用するのだ。
科学の力により動物をコントロールする。このアイデア自体は、それほど珍しいものではない。素晴らしいのは、鯨の口の中の描写だ。特製の乗り物ごと、鯨の口の中に入ったワーナーが見るのは、驚異の世界である。しっかりとオチのついたストーリーもいいが、なによりもこのセンス・オブ・ワンダーを感じさせる、鯨の口中の描写が素晴らしかった。
続く「地熱」は、炭鉱労働者の息子が出世し、故郷の炭鉱で石炭ガス化の実験をする。だがそれが思いもよらぬ事態を引き起こすのだ。親子の関係(作者がこだわるテーマのひとつだろう)を絡めながら、事態がエスカレートし、ついにはパニック小説のようになる。そのエスカレートぶりを、科学的な知識を駆使しながら、リアルに活写しているのだ。読みごたえのある作品である。
この調子で紹介していくと、いつまでたっても終わらないので、もうすこし簡潔に書くことにする。「郷村教師」は、貧村で大人たちの無理解に苦しめられながら子供たちに知識を与える教師の物語……と並行して、宇宙戦争が終わった後の宇宙人の話が進行する。そして宇宙人たちの行動が、教師の物語とリンクし、知識を伝える意味が高らかに謳い上げられるのだ。こうしたミクロとマクロの交錯は、やはりSFでは珍しいものではない。高次元生命体への貢ぎ物になった地球人が、古代中国の詩の素晴らしさを訴えたことから、ストーリーが破天荒な方向に転がっていく「詩雲」も、根本のところに同様の発想がある。
それにしても劉作品は、どうしてSFを読む楽しみを、これほど感じさせてくれるのだろう。そんなことを考えながら読んでいたら、「栄光と夢」に出会い、なんとなく分かった。この作品は、十七年前に戦争があり、それから経済封鎖と経済制裁が続き、崩壊寸前のシーア共和国から始まる。図抜けたマラソンの才能を持ちながらゴミ漁りをして命を繋いでいたシニは、いきなりオリンピックの選手にされ、他の選手たちと共に開催地の北京に向かう。だが、そこで開催されたオリンピックは異様なものであった。
勝手な想像になるが、本作の発想の原点は、フレドリック・ブラウンの「闘技場」ではなかろうか。ちなみにブラウンはSF黄金期を代表する作家のひとり(同時にミステリーの名手でもある)だ。多数の優れたSF短篇を発表しているが、その中でも「闘技場」は名作といわれている。本作はその作品を想起させてくれるのだ。だからなのだろう。かつてブラウンの作品を読んだときに感じた、SFって面白いという感情が、新たに湧き出してきた。劉作品には、SFならではの根源的な物語の輝きがあるのだ。