《勢》の時代のアモラルな美学――劉慈欣『三体』三部作評

福嶋亮大の『三体』評

書物という名のウイルス

 書評とは何か。それは「書物の小さな変異株」を作ることである。書物はウイルスと同じく、変異によって拡大する。

 批評家の福嶋亮大が、文芸書と思想書を横断し、それらの小さな変異株を配列しながら、21世紀世界の「現在地」を浮かび上がらせようとする新連載「書物という名のウイルス」。第2回では、世界的なベストセラーとなった劉慈欣『三体』三部作を評する。

第1回:《妻》はどこにいるのか――村上春樹/濱口竜介『ドライブ・マイ・カー』評

危機の時代のアレゴリー(寓話)

 1963年生まれの劉慈欣のSF『三体』三部作――2006年に『科幻世界』で連載開始し、2010年に完結――は世界的なベストセラーとなった後、中国の国内外で映像化の企画が進んでいる。アメリカのNetflix(網飛)と中国のテンセントビデオ(騰訊視頻)が、それぞれ独自に制作した実写ドラマ版『三体』の放映を予定しているのは、現代のメディア状況を映し出していて興味深い。『三体』は原作がヒットしただけではなく、多くの二次創作――まもなく邦訳の出る宝樹の『三体X』はその代表格――や熱心なファンたちによる大量の解釈を生んだことも特徴的だが、米中の実写版『三体』も遠からずこの「三体産業」の仲間入りを果たすだろう。

 こうして『三体』はすでに作者の手を半ば離れ、世界規模の巨大コンテンツへと成長しつつある。ところで、このような規格外の拡大は、それ自体が『三体』の内容と符合している。『三体』は文化大革命における科学者の迫害に始まり、それがめぐりめぐって、ついには太陽系のゴージャスな破局に到る(なお、文革をどう実写化するかは、宇宙戦争の再現よりもある意味で難しくデリケートな問題である)。最初のローカルな事件が際限なくエスカレートして、思いもよらない宇宙規模の災厄をもたらす――このような負のランナウェイこそが『三体』をユニークなSFに仕立てる原動力となった。

 誰も事態をコントロールできないまま、いつしか変化そのものが主役となってゆく――中国の伝統的な概念を使えば、これは《勢》(ものごとの配置/勢い)が主体であるということと等しい。今の政治状況にも同じことが言えるだろう。例えば、香港の「一国両制」は大陸中国の強烈な干渉のもと、専門家も予測できないぐらいの猛スピードで無効化されてしまった。ただ、それが中国共産党の当初のプランであったとはとても思えない。そこでの主役はまさに《勢》の生み出す複雑な状況であり、共産党も香港市民もパンデミックもその布置=星座の一部なのである(※)。

 われわれは変化がさらなる変化を生み出し、ついには「ありそうもないこと」が満ち溢れてゆく時代、つまり《勢》の時代に生きている。専門家といえども、それを事前に予測し制御することはできそうにないし、米中のような大国ですら、雪だるま式に自らを膨れ上がらせる《勢》の力には追随するしかない。いったん不和や確執が臨界点に達すると、すべてを台無しにするまで「天下大乱」は続く。『三体』は『三体』はそのような危機の時代のアレゴリー(寓話)になり得ている。

 しかも、『三体』の数々の災厄は、その宇宙規模の苛酷な法則によっていっそうエスカレートすることになる。第二部では「宇宙社会学」の単純明快な「公理」と称して、以下の二点が示される。

一、生存は文明の第一欲求である。

二、文明はたえず成長し拡張するが、宇宙における物質の総量はつねに一定である。

 『三体』の宇宙では、自己保存を第一欲求とする無数の文明が、猜疑心にとりつかれながらヒステリックに宇宙を監視している。どこかの星がうっかり自らの位置情報をさらすと、容赦のないジェノサイドの対象となる。星々が平和的に協調することはあり得ないし、運よくジェノサイドを免れるということもない。「他者は地獄」であり、偶然の入り込む余地はないというのが『三体』の基本的な思想である。

『三体Ⅱ 黒暗森林』(早川書房)

 こうして、おのおのの文明がハンターとして他文明をうかがい、危機の兆候をつかめばすぐに殲滅しようとする「黒暗森林」としての宇宙は、ホッブズ的な「万人の万人による闘争」の様相を呈する。地球人を科学力で圧倒する三体人でさえ、この危険きわまりない宇宙では、慎重に身を潜めていなければ、あっという間に絶滅してしまう。ここには「適者生存」を旗印とする、かつての社会ダーウィニズムが宇宙規模のヒステリーを伴って再来している。『三体』は「自然選択」のような言葉をこれ見よがしに用いながら、いつでも大量絶滅の起こり得るディストピア的な宇宙を際立たせていた。

(※)この論点については以下のウェブ記事でも触れている。
拙稿「中国の急激な膨張を支える《天下主義》という強烈なイデオロギーの正体」

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