自我(エゴ)・努力・勝利ーーアニメ化迫る『ブルーロック』が少年漫画として“破格”な理由
さて、現在、進行中の物語では、“青い監獄”計画(ブルーロック・プロジェクト)の「第一段階(フェーズ・ワン)」を生き抜いた選手たちが欧州の5大チームに散らばり、ある大掛かりなトライをしている(させられている)のだが、そこで再び、世一は試合の重要な局面で、自らシュートを打たずに、味方選手にパスを出してしまう。しかしそれは、かつての高校サッカー選手権大会の時とは違い、彼なりのエゴを押し出したうえでの“挑戦”であり、また、“自己表現”としてのパスでもあった(しかも今回は、パスを受けた選手はきちんとゴールを決める)。
だが、その“挑戦”を評価する者もいれば、しない者もいる。そこが面白い。つまり、この漫画にとっての“勝利”とは、単に試合に勝つこと(だけ)ではないのである。
いずれにせよ、『ブルーロック』という物語の主人公は、この先も従来の少年漫画の概念を次々と破壊しなければならない運命を背負わされているのだろう。冒頭でも書いたように、アニメが始まる秋頃にはいま以上の盛り上がりを見せていることと思うが、この破格のサッカー漫画から当分目が離せそうにない。