人間が冬眠!? 医療への期待も膨らむ人類冬眠計画の現在地

「人類冬眠計画」インタビュー

冬眠動物を追う難しさ

――本書では、「冬眠」という言葉は紀元前300年代にアリストテレスによって作られたと語られています。では、冬眠の研究はどのように発展してきたのでしょうか。 

砂川:紀元前から、少なからぬ動物が冬に眠りにつくこと自体は知られていたようです。ただ、なぜこのような現象が起きるのか、これを人間の医療に応用できるのかといったことはなかなか研究の対象とはなりませんでした。 

 学問として進歩があったのは、1900年頃です。動物の体温や脳波、また酸素消費量などを数値として測れるような装置が出てきてから、冬眠が代謝の低下に起因することが定量的に記述され、冬眠が注目されるようになったんです。 

 また1980年代には、「バイオロギング」という、野生の動物の体温や行動を長期間計測できるような装置や調査方法も生まれ、たとえばクジラにセンサーをつけてその生態系を探るようなことも可能になりました。そうなると、冬眠動物の1年間を通しての体温のパターンがわかるようになりました。体温が低い時には3~4度にまで下がっていたんです。そうして冬眠の研究は少しずつ前進してきました。 

――冬眠をする動物はさまざまですが、その種類によって実験のしやすさに差は出るのでしょうか。 

砂川:どの動物にも実験を行う困難は存在します。冬眠をする動物の代表的なものとしては、クマやコウモリ、リスなどがあげられますが、どれも実験動物としてはあまり適切ではありません。クマは大きくて怖いですし、小さめの動物でも、生物研究の上では大きなツールである、遺伝子改変が難しいんですね。 

(代表的な実験動物である)ハツカネズミへの遺伝子改変技術は進んでいて、どこかの遺伝子をなくしたいと思うと、だいたい半年くらいでその遺伝子の欠落した個体を生み出すことができます。冬眠動物にはそうしたことが今はできません。したがって、遺伝子の操作によってどのように冬眠が変わるかの実験はできませんし、冬眠状態をどのように誘発できるかという観察研究に留まるんですね。 

 また、冬眠動物は年に1回しか冬眠をせず、かつ、いつ冬眠するかがわかりません。たとえば、クマはおよそ10月から11月に冬眠することはわかるのですが、その中でいつのタイミングになるかは、冬眠の直前にならないとわからないんです。観察するだけだったらいいのですが、冬眠をしはじめてから1時間後に血液の検査をしたいとなると、冬眠のタイミングが見極められませんし、かつ、その瞬間を逃したら、同じ個体での次のチャンスは1年後になってしまう。ましてや、サンプルをたくさん採集するとなるとほぼお手上げの状態ですし、そうしたことが冬眠研究の難しさにつながっています。実際、多くの冬眠の研究者たちは、8割くらいは別の研究をやっていて、残りの2割くらいの余力で冬眠研究をしている感じです。 

 ただ、手前味噌ではありますが、先ほどお話ししたように、私たちのチームがQIHを作り出したことで冬眠研究は大きなステップアップを遂げました。また、これに乗じて国や民間からもう少しお金が出るようになれば、研究の速度もより早まるかもしれません。 

人類冬眠が実現した未来で

――難しさもありつつ、発展の可能性も十分にあるのだと。人類冬眠計画の実現可能性について教えてください。どれくらいのスパンで人間に適応できるまでもっていけるとお考えですか。 

砂川:だいたい数十年くらいのスパンになります。過程としては、まず一部の細胞や組織など、体の限られた部分のみ代謝を低くすることができるようになってくると思います。それがこれから10年くらい後になります。それから先の本格的な冬眠としては、動物実験を経て、人間の脳神経に刺激を与えることになりますが、そこでスムーズに体温が低下すれば、20年くらいで実現ができると思います。しかし、そこでの変化が微妙であれば、神経や、臓器周辺の研究を再度重ねなければならないので、30年や40年の時間を要するでしょう。最短で今から20年後に、人間を1時間冬眠させられたら、という感じですね。 

――冬眠が進むことで、医療の現場では具体的にどのようなことが可能になるのでしょうか。 

砂川:血流が止まる、血管が詰まることで起こる病気の救命率が上昇すると思います。たとえば、私が心筋梗塞になったとすれば、救急車で病院に運ばれて、心臓カテーテル治療という詰まった血管を開く手術が施されることになります。そこで身体に異変が起きてから血管を開くまでが30分を超えると、死のリスクや、後遺症が残るリスクが高まるんですね。冬眠の技術によって、その時間を長引かせることができるはずです。救急隊が到着したら、まず患者さんを冬眠状態にして、余裕をもって施術できるようにする。冬眠が1、2時間できるだけでも、今だと助からない人たちが助かるようになるでしょう。 

 より踏み込めば、救急隊の力を借りなくても、ゆくゆくは人間が自動的に冬眠できるようにもできればと思います。現在は細胞を進化させるような研究もさかんになっています。たとえば、薬を作ることのできる細胞を体に入れて、病気になった際にそれが自動で働いてくれるような仕組みを作ることが研究されていますが、冬眠もその技術と絡めることができると思います。 

 つまり、冬眠を誘発するような細胞が生まれ、それが体内で働くことで、人間は自然と冬眠ができるようになる。そうなると、心筋梗塞などで自分の身に危険を感じた瞬間にぱたっと冬眠できるようになりますし、医者の負担も減ります。 

――実際に人類が冬眠できるようになった場合、考えられる懸念点はあるでしょうか。 

砂川:社会生活を営む上での支障が何らかの形で出る可能性があることですね。たとえば、これまでの記憶がおぼろげになるとか、思考力そのものに障害が出るリスクがあります。また、体質が変わって、病気に対する耐性がなくなるとか、目覚めた途端に発がんするようなリスクもゼロではありません。 

 さらには、頭脳も含めた身体的な負荷はクリアできたとしても、長期冬眠の場合、社会への適合の問題は生まれるでしょう。緊急医療に使うような、1時間や2時間の冬眠であればそのような心配は薄いのですが、たとえば30年にわたって冬眠をしたとして、起きた後にその人が社会の変化についていけるのか。 

 映画『アベンジャーズ』に登場するキャプテン・アメリカ氏は、70年ものあいだ氷漬けにされながらもあっさりと復活し、目覚めた世界でもうまく適応していましたが、あくまでフィクションです。映画ではない現実の世界では、冬眠が長期的に導入されるようになったら、心身ともに手厚いケアは必要になるでしょう。冬眠は強制するものではなくその人が選ぶものなので、それが間違った選択にならないように、しっかりと制度を整える必要もあります。 

 現実的には、このような懸念が生まれるのは先の話でしょうし、とらぬ狸の皮算用にならないように、少しでも研究を進めていければと思っています。

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