古川日出男が語る、新たな『犬王』の誕生 「ある表現者の架空の自伝という思いで書いた」
最初の映像化がアニメーションとは思わなかった
――なるほど。ということは、そんな『平家物語 犬王の巻』をアニメーション映画にしたいという話を最初に聞いたときは、かなり驚かれたんじゃないですか?古川:いや、驚きましたよ(笑)。というか、「いや、ビックリだな……」ということしかなかったので、「どうぞ、好きなようにやってください」って言って(笑)。それも『平家物語』を翻訳して欲しいっていう依頼がきたときと一緒ですよね。直感的に、これはやるべきだと思った……しかも、アニメなんだっていう。そう、僕の作品って、実は一個も映画化されてないんですよ。企画はいくつかあったんですけど、途中でスケール感とかバジェットみたいなところが問題になるのか、いつの間にか立ち消えになってしまうようなパターンが多くて。よもや最初の映像化が、アニメーションとは思わなかったです。結構それは、盲点だったなって思いました。
――確かに。アニメ『平家物語』の制作陣も相当豪華でしたが、今回の映画『犬王』も、監督が湯浅政明さん、脚本が野木亜紀子さん、キャラクター原案が松本大洋さん、音楽が大友良英さんと、錚々たる顔ぶれになっていて……。
古川:そうですよね。だからさっきの『平家物語』の話に戻ると、『平家物語』というのが、いろんな人が関わって作るひとつのマトリックスだったとしたら、すごく不思議なことに、僕が書いた『平家物語 犬王の巻』もまた、いろんな人がその人なりに取り組んでいく作業のマトリックスになってしまったという(笑)。たとえば、野木さんがこの原作から、登場人物を2人に絞って、彼らが出会って交流を重ねながら最後のステージになだれ込むまでの脚本を書いてくれたり、湯浅さんが僕では描写しきれない犬王の動きを、自分の予想の何倍も上回る形でビジュアライズしてくれたり……みんなが、ある意味、寄ってたかって生産的なことをしてくれたわけです。普通、寄ってたかると搾取しちゃうんですけど、寄ってたかってクリエイションしちゃったっていう(笑)。それはもう、ありがたいとしか言いようがないですよね。
――もちろん、山田尚子さん、吉田玲子さん、高野文子さんなど、女性スタッフが中心となったアニメ版の『平家物語』も、そういう側面があったわけで……その状況については、原作者として、どんな感想を持っていますか?
古川:そうですね……よく小説家は神様みたいだって言われるじゃないですか。神様になって小説を書いているみたいな。でも、僕はそうは思ってなくて……というのは、もし仮に、神様が人の祖先を作ったとしても、僕らは神様に作られたのではなく、自分の父親と母親によって作られているわけです。っていうふうに僕は考えていたので、僕はもしかしたら、神様みたく『平家物語』の現代語訳、そして『平家物語 犬王の巻』という場を用意したかもしれないけど、そこで生まれた人たちが……たとえば、アニメ『平家物語』は、「びわ」ちゃんという原作には存在しない新しいキャラクターが、主人公だったじゃないですか。
――あれは驚きました。これは、すごい大胆な翻案だなって……。
古川:すごいですよね(笑)。っていうふうに、「びわ」ちゃんというキャラクターを作ったのは、「神様」じゃなくて、なんと「人間」だったわけです。つまり、神様というのは人間の祖先しか作れなくて、そこから人間たちがいろんなものを作っていくんです。それは『犬王』にしても同じであって……野木さん、大洋さん、湯浅さん、大友さん、あと声優の皆さんが、それぞれ自分たちの『犬王』を新しく作っていく。だから、この「世界」を作ったのが神様だったとしても、その「世界」は、人間の力によっていくらでも豊穣にカラフルにしていくことができるんだっていう……それをこの2作品で証してもらったような感じがするんです。
――なるほど。
古川:アニメ『平家物語』のように女性たちが作れば、その人たちの角度から描くべきことが浮かび上がってくるし、『犬王』のように湯浅さんがやれば、湯浅さんのイマジネーションの形から人物たちが動き始める。で、僕は思ったわけです。「あ、神様って、こういう意味だったのか」と。神様っていうのは、その世界を絶対的に支配するのではなく、「いやー、なんかみんな勝手に作ってるわー」って、それを楽しむ役割だったんだと(笑)。