『僕のヒーローアカデミア』いよいよ大詰め! 自己犠牲を否定するヒーロー観を考察

『ヒロアカ』自己犠牲を否定するヒーロー観

 そこで一番重要な役割を果たすのが爆豪勝己だと言うのが、泣かせる演出である。爆豪はデクの幼馴染で「無個性」のデクを見下し、いじめていた。しかし彼にはデクに対する強いコンプレックスがあり「否定することで優位に立とう」としていたと爆豪は告白する。

 今まで抱え込んでいた気持ちを全て吐き出し「出久」「今までごめん」と謝る爆豪。デクと爆豪が対話する場面は幼少期から現在にかけての二人の姿がイメージショットとして描かれる。これは全身全霊で自分の気持ちを伝えようとする爆豪の気持ちをデクが正面から受け止めていることを表現しているのだろう。ヒーロー論を展開しながらも、最終的に友達を思いやる気持ちの方が強く伝わってくるのが、実に『ヒロアカ』らしい展開だ。

 その後、デクは仲間と共に雄英高校に帰還する。しかし学校に避難している民間人はヴィランとの戦いに巻き込まれることを恐れて、デクを拒絶する。そこで麗日お茶子が、デクの心情を説明した後、「泥に塗れるのはヒーローだけです!!」「泥を払う暇をください!!」と民間人に訴える場面は、本作におけるヒーローと民間人の関係を改めて強く打ち出している。

 ここで重要なのが「守る/守られる」という関係を一方的に押し付けるのではなく、ヒーローと民間人の対話が描かれていることだ。この“対話”というモチーフも本作で繰り返し描かれてきたことである。

 『ヒロアカ』における「ヒーローとはどういう存在であるべきか?」を再定義する場面が33巻には繰り返し登場する。少年漫画としてはやや難解な議論が続くのだが、一人一人の心情に寄り添った人間ドラマとして描くことで、少年読者でもわかるように落とし込まれている。最終的に「ヒーロー論」よりも、デクが仲間と市民に受け入れてもらったという感動の方が上回っているのが、少年漫画としての『ヒロアカ』の魅力である。

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「書評」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる