『ベルセルク』主人公・ガッツにみる“ダークヒーローの条件”とは? 他作品との共通点から考察
※本稿には『ベルセルク』(三浦建太郎/白泉社)の内容について触れている箇所がございます。同作を未読の方はご注意ください。(筆者)
昨年(2021年)12月24日、最終巻[注1]となる第41巻が発売された、三浦建太郎の未完の大作『ベルセルク』。周知のように、同作は我が国のコミックシーンにおける、ヒロイックファンタジーおよびダークファンタジーのパイオニア的存在であり、その情念を刻み込んだような強烈なヴィジュアル表現から、ある種の“物語論”としても読めるメタ的な視点にいたるまで、語るべきことは無数にあるが、本稿では、主人公・ガッツのキャラクター造形に焦点を当て、ファンタジーやSF系の漫画に登場する“ダークヒーローの条件”について考えてみたいと思う。
[注1]今後、もしかしたらなんらかの形でシリーズが継続されることもあるかもしれないが、作者である三浦建太郎が2021年5月6 日に逝去したため、オリジナルの『ベルセルク』は第41巻が最終巻となる。
“黒い剣士”の旅の目的は?
『ベルセルク』は、“黒い剣士”と呼ばれる青年・ガッツが、森の中で、女に化けていた怪物を殺す場面で幕を開ける。ガッツは、身の丈を越す巨大な剣「ドラゴンころし」を背負い、大砲が仕込まれた鉄の義手をつけた隻眼の巨漢だ。
彼はある目的のために長い旅を続けているのだが、その“真相”が明らかになるのは、物語がやや進行した第3巻の巻末あたりからである。そこから第13巻にいたるまで、“かつて彼の身に何が起きたのか”が入れ子構造で描かれていくのだが、簡単に説明すれば、ある時、魔道に堕ちた親友・グリフィス(傭兵集団「鷹の団」団長)に裏切られた彼は、「蝕」と呼ばれる降魔の儀で、左腕と右目、そして、多くの仲間たちを失ったのだ。
また、首には「生贄の烙印」が刻まれ、それにより、ガッツは夜のあいだはどこにいても「闇の者」(人ならざる者)から命を狙われることになる。唯一の“救い”は、愛する女性・キャスカとともに、「髑髏の騎士」の助けで現世に生還できたことだが、彼女は「蝕」での恐ろしい体験のため精神が崩壊し、幼児退行していた……。
そう、ガッツという“黒い剣士”は、守護天使「フェムト」に転生した仇敵・グリフィスへの復讐を果たすため、常に人外の者どもから狙われる危険な立場に身を置きながら、過酷な旅を続けているのだった。
ダークヒーローの条件【1】悪魔的な“黒い”ヴィジュアル
さて、このガッツというキャラクターだが、私が考える“漫画のダークヒーローの条件”をすべて兼ね備えた存在だといっていい。その条件は3つほどあるのだが、まずは「悪魔的なヴィジュアル」について述べたい。
あらためていうまでもなく、「ダークヒーロー」とは、直訳すれば「闇の英雄」のことであり、陰と陽でいえば「陰」の側の存在だろう。だとすれば、その容姿は、どこか悪魔的なイメージ(形・記号・色)でデザインされていなくてはならない。
わかりやすい例を挙げれば、『デビルマン』、『バオー来訪者』、『寄生獣』、『うしおととら』、『ZETMAN』、『ARMS』、『進撃の巨人』、『怪獣8号』といった作品の主人公たちのヴィジュアルだが、彼らは、ふだんは普通の人間の姿をしているのだが、戦闘時は、悪魔や鬼や怪物などのイメージを採り入れた“異形の姿”に変身ないし変形する。
ガッツは、上記の主人公たちのような意味での変身(変形)こそしないが、呪物である「狂戦士の甲冑」をまとい、巨大な「ドラゴンころし」を振り回すさまは、まさに“鬼神”そのものである(「狂戦士の甲冑」は、装着した者に強大な力を与える代わりに、理性を奪い、『すべての骨が砕け すべての血が吹き出すまで』戦わせる。ガッツの場合は、魔女・シールケの加護により、いまのところはかろうじてその呪いから逃れられている)。
さらにいえば、前述のように彼は人々から“黒い剣士”と呼ばれているのだが、闇を表す「黒」ほど、ダークヒーローを象徴する色はないだろう[注2]。
[注2]余談だが、ダークヒーローではない、いわば“普通の”ヒーローたちのヴィジュアルは、白、金、銀といった「光」を連想させる色か、赤のような「血」や「太陽」を象徴する色でデザインされていることが多い。たとえば、歌舞伎の隈取りも、悪人や妖怪のそれは黒く塗られているが、正義の英雄は赤である。
ダークヒーローの条件【2】失ったものを取り戻そうとする
ダークヒーローの条件の2つ目は、彼らが“喪失した者”であるということだろう。
個人的には先に挙げた【1】の条件よりも、断然こちらのほうが重要であると考えており、つまり、私が定義するダークヒーローとは、“失ったものを取り戻そうとする主人公”たちのことに他ならない。そしてその“大切な何か”を失った証として、彼らの多くは、身体の一部が欠損していたり、顔に大きな傷が刻まれていたりするのである。
たとえば、『どろろ』、『ブラック・ジャック』、『宇宙海賊キャプテンハーロック』、『魍魎戦記MADARA』、『からくりサーカス』[注3]、『鋼の錬金術師』といった作品の主人公たちの顔や身体を思い浮かべてほしい。
[注3]『からくりサーカス』の主人公は3人いるが、ここでいっているのは加藤鳴海のこと。
また、「死なない身体」というのをある種の“欠損”だと考えるならば(彼らは“普通の”「死ねる身体」を失った、ともいえるのである)、『無限の住人』や『亜人』、あるいは高橋留美子の「人魚シリーズ」の主人公たちも、このタイプのキャラクターに分類されるだろう。
いずれにせよ、こうした主人公たちの身体の欠損とは、そのまま“心の欠損”につながっている場合が少なくなく、極論すれば、それを埋めるための戦いのことを、“ダークファンタジー”と呼ぶのかもしれない。
そういう意味では、ガッツが失ったのは左腕と右目だけではないのである。では、彼が取り戻そうとしているのはいったい何か。それはもちろん、仇敵・グリフィスとの“決着”をつけることでしか得られない“自我”と、愛する女性の心、ということになるだろう。ガッツ自身はそれを、「オレは殴られたら 必ず殴り返す!!」(第13巻)と、武骨な彼らしい言葉で表現しているのだが――。