『ベルセルク』主人公・ガッツにみる“ダークヒーローの条件”とは? 他作品との共通点から考察
ダークヒーローの条件【3】怪物と人間の狭間にいる者たち
さて、最後になるが、ダークヒーローが“闇の存在”である以上、彼らは勧善懲悪の“正義の味方”たちとは異なり、常に「怪物」と「人間」の境界線上――『ベルセルク』でいえば、現世(うつよ)と幽界(かくりょ)の狭間――にいる必要があるだろう。
具体的にいえば、敵(怪物)と同じ能力を持っているからこそ敵(怪物)を倒せる――すなわち、毒をもって毒を制すという原理が、ここにはある。
そして、おそらくこの原理を最も理解していたのが、巨匠・石ノ森章太郎であり、それは、彼の代表作である『サイボーグ009』や『仮面ライダー』の主人公たちが、そもそもは敵の組織に改造された存在だったということからもよくわかるだろう。また、その石ノ森の考えをより発展させたのが、彼のアシスタントでもあった永井豪であり、『デビルマン』の主人公・不動明が、人類を救うために、自ら悪魔と合体したのは周知の通りだ。
さらに、この種の作品の系譜として、『バオー来訪者』、『寄生獣』、『ARMS』――また、近年のヒット作では、『進撃の巨人』、『呪術廻戦』、『怪獣8号』などが挙げられるだろう(ちなみにこれらは条件【1】の例として挙げた作品とほぼ同じだが、要するにこの条件【3】を視覚化したものが、条件【1】であるともいえよう)。
いずれにせよ、こうした作品に登場するダークヒーローたちは、自ら望んで魔性の存在と合体・受肉した者から、人知れず改造・移植・寄生されていた者までさまざまだが、共通しているのは、彼らが怪物の力を手に入れてもなお、“人の心”は失わなかった、ということだ。
繰り返しになるが、「生贄の烙印」を刻まれ、「現世と幽界の狭間の存在」となったガッツもまた、「狂戦士の甲冑」装着時などはある意味では人でなくなるわけだが、それは、自分は傷ついても“仲間”を救いたいという“正義の心”と、たとえ甲冑の呪いが発動したとしても、必ずあの可愛い魔女(シールケ)が制御してくれるだろうという、“他者への強い信頼感”があってのことである。
そう、ダークヒーローとは、いつ魔道に堕ちてもおかしくはない怪物の力を持ちながら、それを恐れず周りの人々のために使う、心優しき者たちのことなのである。そしてそんな彼らならではの“正義”の積み重ねが、やがて先に述べた条件の【2】――すなわち、“喪失したものを取り戻す”ことにつながっていくのではあるまいか。
残念ながら、三浦建太郎のペンによるガッツの旅の終焉を見ることは永遠に叶わなくなってしまったが、その“答え”は、我々読者ひとりひとりに委ねられたといっていいだろう。
[付記]本文中で省略した各作品の作者名は以下の通りです。(筆者)
『バオー来訪者』荒木飛呂彦/『寄生獣』岩明均/『うしおととら』藤田和日郎/『ZETMAN』桂正和/『ARMS』皆川亮二/『進撃の巨人』諫山創/『怪獣8号』松本直也/『どろろ』手塚治虫/『ブラック・ジャック』手塚治虫/『宇宙海賊キャプテンハーロック』松本零士/『魍魎戦記MADARA』田島昭宇with MADARA PROJECT/『からくりサーカス』藤田和日郎/『鋼の錬金術師』荒川弘/『無限の住人』沙村広明/『亜人』桜井画門(漫画)・三浦追儺(原作)/『呪術廻戦』芥見下々