気鋭のマイナー音楽系出版社・カンパニー社とは? 音楽批評の現在地を探る特別対談・前編

気鋭の音楽系出版社・カンパニー社とは?

スケール主義に抗する「1000人のファン」理論

細田:音楽書と一口に言っても、今この瞬間に大量に売る必要があるタイプの書籍と、今は売れなくても出版することそれ自体に価値があるタイプの書籍って、役割が違うじゃないですか。前者は商品として企業が利益を得るために売り捌かなければならない場合と、同時代と強く結びついているために今読まれなければ価値がなくなってしまう場合がある。対して後者は研究書や評伝などがそうであるように、たとえ今すぐに大量に売れなくとも書籍として記録に残すという意味では一種のアーカイヴとして機能する。そう考えるとカンパニー社の書籍はアーカイヴでありながら同時代とも紐づいている側面があって、そこのバランスが非常に上手く取れていると思うんです。読者に届けることと記録に残すことの両方に意識が向いているというか。


工藤:やっぱりいくらアーカイヴと言っても、出版して誰も買ってくれないということは流石に避けたい(笑)。それが同人誌ではなくあくまでも会社として出版事業を始めた理由と言えるかもしれないですね。ただ、とはいえ読者を無限に増やしていこうとはこれっぽっちも思っていないんですよ。ケヴィン・ケリーという『WIRED』誌の最初の編集長を務めた人物がいるんですが、彼が書いた「1000人の忠実なファン」という有名なテキストがあるんですね。そこで彼は「クリエイターとして成功するために100万人のファンは必要ない。1000人程度の忠実なファンがいるだけでいい」と主張していて、これは出版社に置き換えて考えることもできるだろうと。1000人のコアな読者がいれば持続的に活動できるはずなんです。日本の人口でいえば約10万人に1人、そう考えると不可能な数字ではない(笑)。そして自分が関心のあることを発信していけば、多く見積もって1000人程度の同志たちに届けることはできるのではないかという目算があったんですね。場合によっては500人でもやり方次第ではできると思うんですよ。

細田:今は出版業界もウェブメディアもスケール主義ですからね。とにかく増刷することが善であり、PV数を稼ぐことが成功であり、有料会員は増えれば増えるほど素晴らしい。資本主義社会に毒された拝金主義者たちは100万どころでは足りないとさえ思っているのかもしれない。もちろんスケールすることそれ自体が悪いわけじゃないですよ。けれど粛々と意義のある出版活動をサステナブルに続けていくことを考えるのであれば、無闇矢鱈に規模を拡大していくことに未来はない。そもそもマイナーなフリー・ミュージックの書籍が100万部も売れることは想像し難いわけですが(笑)、ハナから100万部売る必要はないのであって、スケールするのではなく1000人とどう向き合うかということを考えるのが重要ですよね。それはミュージシャンもそうで、下北沢のライヴハウスから出発して徐々に大きなハコにステップアップし、ゆくゆくは武道館で単独公演を開催する……ということを夢見るバンドマンがいるのは全く構わないんですが、そうした図式には原理的に当て嵌まらないタイプの音楽もある。人々を動員し得ない音楽というか。

工藤:カンパニー社の理念としては、いわゆる出版社というよりは一部のミュージシャンやアーティストの活動をロールモデルとしているところが少なからずありますね。デイヴィッド・グラブスが『レコードは風景をだいなしにする』という本の中で自主制作されたレコードに惹きつけられる理由を書いていますが、つまりアーティスト自身がレーベルを設立し、プレス・リリースを書き、アートワークを手がけ、ジャケットの貼り付けをし、宛名を書き、切手を貼り、おそらく郵便局の窓口に並んだであろうこと、そして自分の郵便受けにレコードが届く、こうしたプロセスを含めた一種の芸術プロジェクトとしてのレコードが持つ多分野的性格です。本作りに関して僕も全く同じようなことを感じていて、要するに本を作って「あとはよろしく」といった感じに取次や書店に丸投げするようなことは極力したくないんですよ。これは分業を突き詰めたスケール主義とは対極にあるもので、今の時代をどうサバイブするかという「経営戦略」ですらないのかもしれない。でもそれこそフリー・インプロヴィゼーションに取り組むミュージシャンは武道館に出ることを最終目標としてステップアップしようとは全く考えていないんじゃないですか。大規模なステージに出る必要なく続けていけるのであれば、それが一番いいですから。

細田:まあでも1万人の観客を武道館に集めて微弱音の即物的ノイズが鳴っているライヴって、ちょっと現場に行ってみたい気はしますが……。

工藤:野外フェスだったらあり得るかもしれないですね。メールス・ジャズ祭は数千人規模の動員があるようですから。それはともかく(笑)、カンパニー社は大きな資本と関係のない領域でやらざるを得ないし、今後もやっていくことになると思います。自分で書籍を販売するためのチャンネルを持っておくというのもそういうことで。

細田:より多くの読者を対象にするということは、より多くの読者が関心を持つような最大公約数的なトピックしか取り上げられなくなっていくわけですよ。マイナーなものはどんどん切り捨てられていく。とはいえ「マイナーだから売れなくてもいい」と開き直るべきだというわけでは全くなくて、クオリティを維持しながら持続することが可能な規模感をあらかじめ考慮に入れておくということですよね。

工藤:最近は本を読むのもコスパを考える人が増えているじゃないですか。まずはそこから距離を取りたい。カンパニー社の書籍を買ってくださっている人も、別にコスパが良くて自分の利益になるというだけの理由で買っているわけではないと思うんです。そうではなくて、本を購入し、そして読むことで、ある種のマイナーなカルチャーが持続的に育っていくことに加担しているという意識を持っている人が多いはず。読者も文化の担い手の一人になっているというか。「神の見えざる手」に逆らうというか、基本的には反マーケティングです。資本主義的な経済原理に完全に則った、需要と供給だけを回していくこととはまた別の経済活動があると思うんですね。

細田:スケール主義では扱えないようなマイナー文化を大事にするというのもカンパニー社の重要な点だと思います。つまり工藤さんの活動にはハッキリとコンテクストがあるんですよ。ものすごく小さいとは思いますけど、地下水脈のように流れ続けてきたフリー・ミュージックをはじめとしたマイナー文化の歴史があって、そうしたコンテクストの上に立ってカンパニー社は活動を行なっている。もしもこうしたコンテクストを抜きにして単に自分の趣味を披瀝しているだけであれば、今のように読者がつくことはなかったんじゃないでしょうか。

工藤:脈々と続くマイナー文化の歴史はやはり意識していますね。だからこそなおさら、数冊刊行して息切れしましたサヨウナラ、とならないように持続的に活動していく必要があると思っているんです。

細田:それと、今はインターネットが普及してマイナーとメジャーが等価になったと言われることがよくありますけど、現実にはそうでもない。マイナー文化にはネット上に出ていない情報やフィジカルでのみリリースされている作品もたくさんありますから。カンパニー社の規模感というのは、そうしたところも含めてマイナー文化を持続させていくための一つの有効な手立てとなっている気がします。(後編に続く)

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