桑島智輝が語る、商業写真としてのグラビア 「“仕事”という前提で、いかに自分らしい色を出せるか」

桑島智輝が語る、商業写真としてのグラビア

 奥山かずさの3作目となる写真集『月刊 奥山かずさ・想』(小学館)が昨年の9月30日に発売された。湿度の高い奄美大島の森林を背景に、奥山かずさのナチュラルな色っぽさと豊かな表情に迫った一冊。カメラマンは、奥山かずさ自身の希望により桑島智輝が担当している。

 桑島智輝に対する奥山かずさの絶大なる信頼は、写真集からも明らかだ。本サイトで奥山かずさにインタビューをさせてもらったときも、「桑島さんだからこそ、できた写真集だ」と、何度も話してくれていた。

 今回は、そんな桑島智輝本人に『月刊 奥山かずさ・想』について話を聞いてみた。同時に、商業写真としてのグラビアに対する気持ちと、90年代後半から2010年代頃にかけて数々の話題作を連発した『月刊』シリーズについても語ってもらった。(とり)

『月刊 奥山かずさ・想』での試み ——グラビアとは?

――『月刊 奥山かずさ・想』は、衣装チェンジが少ない分、奥山さんとの近しい距離感や感情の動きに触れやすい写真集になっていると感じました。以前、本サイトで奥山さんにインタビューさせていただいたとき、衣装の点数を減らすのは、桑島さんからの提案だったと話されていたのですが、それはなぜだったんでしょうか?

桑島:その方が集中してたくさん撮りまくれるから、ですかね。グラビアは、衣装やヘアメイクの幅でバリエーションを広げることもありますけど、それだと、せっかくいいロケーションで気持ちを作って撮影したとしても、物語が生まれにくいんですよ。3日間の撮影で12着分撮らなきゃいけないとなると、1日に4回も着替えてもらう必要がありますよね。その時点で、どこか作業的になってしまいがちです。

 撮りたいのは、気持ちが動く瞬間や表情が変わる瞬間。時間をかけてゆっくり撮らないと、なかなかその瞬間に辿り着くことはできません。衣装チェンジが多いだけで「次はあの衣装で、その次はあの衣装で」と、お互い撮影に集中しづらくなってしまいます。今回は奥山さんの内面を撮っていくというのが大まかなテーマとしてあったので、1日2着、3日で6着くらいで十分じゃないかと提案させてもらいました。それも、上下まるまる着替えるんじゃなくて、ワンピースの下に下着を着てもらって、少しずつ展開していくって形も取り入れながら。スムーズな流れを重視していましたね。

――衣装の数、シーンの多さが写真集の見応えではないんだと、改めて痛感しました。ずっと見ていたくなる奥山さんの自然体な表情。桑島さんと奥山さんの、写真を介した純粋なコミュニケーション。そこが本作のいちばんの見どころではないかと思ったほどです。

桑島:それは、奥山さんが“27歳の女優さん”であったことも大きな要素だと思います。奥山さんもインタビューで話されていましたが、撮影前に15分間、何もない公民館にひとりっきりになって過ごしてもらったシーンがあるんですよ。恐らく、そこで自己と対峙せざるを得なくなるわけですけど、逃げずに向き合えたのは、奥山さん自身にそれだけの人生経験と度量があったからですよね。10代〜20代前半の子だったら、もうその時点で嫌になっていたんじゃないかな。「何ですか、この撮影。怖いんですけど」って(笑)。

――確かにそうですよね(笑)。とりわけ真面目な性格の奥山さんだったから、向き合えた時間だったのではと思います。

桑島:そう、めちゃくちゃ真面目な人なんですよ。ただ、その真面目さが、逆に奥山さんの良さを閉じ込めている気もして。というのも、奥山さんのなかに「こういうポージングをすれば、ファンの方が喜んでくれる」といったセオリーが既に出来あがっているように見えました。実際、カメラを前にすると、器用にいろんなポージングを見せてくれるんです。雑誌の数ページ用の撮影だったら、その方がありがたい場面もあるかもしれませんが、写真集となると話は別です。キメキメの表情やポージングは、ちょっとで十分。むしろ、その間の表情を撮りたいんですよね。

――グラビアに慣れている方ならではの悩みどころですよね。とはいえグラビア、ないし写真集は、その人の内面を惜しみなく写せる唯一の場所でもありますよね。

桑島:そうなんですよね。カメラマンにとっても、タレントにとっても、グラビアは貴重な場所ですよ。今後、商業写真として形に残っていくものも、タレント写真集くらいでしょうしね。だって、雑誌は基本的に流れていくもので、神保町で古雑誌を扱っているようなお店に行かないと、バックナンバーもほとんど置いていない。広告写真も年鑑としてまとめられはするものの、オリジナルとしては残らない。そう考えると、オリジナルのまま形が残っていくタレント写真集って、本当に貴重だと思います。

 にもかかわらず、今やグラビアの存在そのものが危ぶまれる時代になってしまいました。そんな今こそ、グラビアの素晴らしさを、表現の幅広さを、現役である僕らが示していかきゃならないと思っているんですけどね。「グラビアって、こんなに楽しいんだぜ」って。グラビアに憧れる若いカメラマンがいなくなってしまったら、文化そのものが終わってしまいますからね。

――やはり、グラビア文化に対する危機意識みたいなものがあるんでしょうか。

桑島:だんだん即物的なものになってきた実感はあるんですよね。写すべき対象を、ただまっすぐ切り取っているだけというか。口当たりはよくても、それ以上に写っているものがない気がするんです。流して見やすいという意味では、SNSとの相性もいいですし、今の時代に合っているんでしょうけど。でも僕は、何か別の意図があるんじゃないかって、ちょっと勘繰ってしまうくらいの混沌さがあってもいいと思うんですよね。ミステリーチックで、物語性がある方が。

――分かります。撮ってみるまで分からない、撮影者も被写体も気付かない。そんな写り込みや偶然性が、写真の面白さでもありますよね。

桑島:そうそう。例えばイラストを描く人は、背景に何があるかまで全て意図して描きますよね。でもカメラマンは、撮りながら画角に何が写り込んでいるかを全て把握しきるのは不可能。感覚的にシャッターを押したとき、そこに何が写っているか。写真を見て、はじめて理解できるディティール、発見があるわけです。僕が写真を撮り続ける原動力もそこにあります。分からないから撮る。その余白が面白いんですよね。

 本作でも、あえて被写体や背景をぼかさないよう、レンズを絞りまくって撮影をしていますし。そこを切り取っちゃったら、その先が何もなくなってしまいますからね。

『我旅我行 GA RYO GA KO』(桑島智輝、安達祐実)

――むしろ、そこまで写しきれるのはグラビアの特権ですよね。

桑島:あと、最近になって改めて「グラビアって何なんだろう?」と考えるようになって。女の子が水着姿あるいはヌードで写っているものでもあるし、そもそもは印刷の種類を指す言葉だし。それで、突き詰めた結果、結局は商業に則ったものなんですよ。だから、自分のなかでは「仕事」なんです。そのうえで、いかに自分らしい色を出せるかって話で。

――芸術性が求められはするものの、大前提として「仕事」であると。

桑島:依頼を受けている以上、先方の要望に沿うのが定石ですよね。それにグラビアって、フリースタイルとはいえ、ものすごく技術がいるんですよ。胸やお尻などのパーツ、スタイル全体をどうきれいに見せるか。その子の気分をアゲてあげるためにも、撮るべきところはちゃんと撮っておかないと。表情だけを撮っていてもダメなんです。

 僕は、安達さんの写真を撮るとき、主にフィルムカメラで撮っていますが、グラビアの技術的な面を追求していくには、絶対デジタルカメラで撮っていくべきだと思っています。写真集もデジタルの時代だからっていうのもあるけど。奥山さんの写真集の話からだいぶ飛躍してしまいましたが、グラビアって、すごく奥深いんですよね。

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