『御上先生』髙石あかりは何がすごい? ファースト写真集で見せていた被写体としての“表現力”

俳優・髙石あかりの勢いには凄まじいものがある。映画とテレビドラマを活動のメインフィールドとし、とても短いスパンで自身のキャリアを更新し続けている。今季のドラマ作品の中でも一番の話題作だったといえる『御上先生』(TBS系)で、彼女の存在を知った方は多いことだろう。しかし同作以前にも、髙石の代表作だと呼べるものはいくつも存在する。彼女が持つ表現者としての“強み”とは、いったい何なのだろうか。
『御上先生』後半から徐々にスポットが当たる"難役"を演じる
放送が終了したばかりの『御上先生』は、新時代の学園ドラマだった。主人公の御上孝(松坂桃李)は文部科学省のエリート官僚にして教師であり、日本の“教育”というものを本気で変えようとしている人物だ。御上が受け持つ隣徳学院3年2組の生徒たちは、いずれも個性的な秀才ばかり。これを演じる者たちとして、次代を担っていくであろう期待の若手俳優らが勢揃いしていた。そのうちのひとりが、髙石あかりである。
髙石が演じていた千木良遥は、成績優秀で友だち思いだが、とても控えめな性格の人物だった。どれくらい控えめだったかというと、全10話のうち、その存在感が際立っていたのは後半の数話のみ。といっても、後半の数話は彼女が物語の中心にいたのだから、そのような構成のシナリオになっていたわけだ。ここで千木良というキャラクターの詳細や『御上先生』におけるポジションにまで言及するのはやめておくが、これだけは言っておきたい。この役どころを演じるのが、いかに難しいものであるのかを。
先述しているように、ドラマの放送がスタートしてからしばらくは、千木良の出番はほとんどなかった。多くの視聴者が彼女に対して、“クラスメイトのひとり”という以上の印象を抱くことはなかったのではないだろうか。セリフだって用意されていなかったのだから。けれども彼女は、のちにドラマの中心的な存在にまでなってみせた。この流れに驚いた方は少なくないだろうが、一部の方にとっては納得の展開だったのではないか。
冒頭に記しているとおり、俳優・髙石あかりの勢いには凄まじいものがある。そんな彼女を作り手たちが“クラスメイトのひとり”にとどめておくわけがない。思い返してみれば千木良は、出番という出番はなくとも、ドラマの開始時から強く印象に残るような映し出され方をしていた。じつはあの一瞬一瞬が、千木良を演じる髙石の勝負どころだったのではないかと私は思う。セリフに頼ることなく千木良のキャラクターを視聴者に印象づけ、本作において彼女が特別な存在だと示唆する必要があったからだ。