山田孝之が語る、表現のすべては人の心を動かすために 「あなたはどう思いますか?」

山田孝之、人の心を「動かす」ため

 人気と実力を兼ね備え、多くの代表作を持つ俳優として活躍するにとどまらず、近年はプロデュース業や監督も務めている山田孝之(以下、山田)が、朗読CD付き詩集『心に憧れた頭の男』を上梓した。

 2008年から13年間にわたり、月刊誌「+act.(プラスアクト)」に隔月連載で綴ってきた詩をまとめた本著は、山田自身が全79篇を朗読したCDの付いたプレミアムな詩集となった。また書籍の後半には、自身の詩を振り返って新たに書いた「解説」も収められている。

 発売にあたって山田に話を聞くと、詩も、自身の内部に収まる表現ではなく、あくまでも読む人に向けたものであること、さらに「こう受け取って欲しい」ではなく、「あなたはどう思いますか?」との、多岐にわたる山田の活動のすべてに通じる、人の心を「動かしたい」という表現者・山田の核たる思いが伝わってきた。(望月ふみ)

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外で日の光や風を感じながら、人を見ながら聴いてもらいたい

――朗読CD付きの詩集ですが、そもそも朗読を収録しようとなったきっかけは何だったのでしょう。

山田:連載中にも朗読を求める声が多く届いていたんです。みんな脳内で読んではいるけれども、僕の声で聴きたいと。実際の収録では、フラットに近い感情で読むようにしました。最初、書かれたことにもっと素直に読んでみたのですが、重くなってしまったので。割とネガティブなことにも向き合って書いている内容ですから。もうちょっとフラットにしましたほうが受け取りやすいんじゃないかと。この作品はできれば外で読んで、聴いてもらいたいです。

――後半にある「解説」にも、外で読んで欲しいと書かれていましたね。

山田:はい。いろんな家族が遊んでいる休日の公園とか、街中を歩きながらとか、空を眺めてとか。僕はスマホで詩を書いていましたが、家で画面だけをにらめっこしながら書いてはいません。建物の中で書いたとしても、窓の外を見て書いたり。閉鎖的な空間で聴くと、必要以上に重くなってしまいますし、外で日の光や風を感じながら、人を見ながら聴いてもらえればと思って収めました。

すべての物事に「なぜ?」が大事だと思っている

――詩集の前半、「ボク」という表現を多用しています。何か意図があったのでしょうか。

山田:僕、基本的にカタカナって嫌いなんです。カタカナって、何かそれっぽく見えちゃうんですよ。どこかつかみきれなくて、ほかと違って不思議な感じがあるというか。だからあまり使いたくはないんですけど、今回は、「ボク」とか「キミ」とカタカナにすることによって違和感を生みたかったんです。おそらく読んでいて、なぜカタカナにしたんだろうと、「なぜ?」と思いますよね。僕は、すべての物事に「なぜ?」が大事だと思っています。なぜこれを書いたんだろう。なぜこれを伝えているんだろうと思って欲しい。なぜわざわざカタカナで言ってるんだろうと、もうひとつ「なぜ?」を加えるためにそうしました。そもそもここに書いた詩は、自分の気持ちであることはまれなんです。「ボク」というひとりの「人」から別の「人」やいわゆる「世間」だったりに、どう思う?と投げかけているんです。

――中盤は、大きな文字で、ほぼ「単語」を打ち出した形式になっているなど、見た目にも面白い詩集ですね。

山田:最初のほうは詩を鏡映しで載せています。僕が思っていることを書いているようで、実は真逆のことを言ってるんですよ、といったことも含めたりしながら、問いかけました。「単語」は、長く色々書いても、みんな頭でいっぱい考えてしまって、結局分からなくなってしまうので、シンプルにしたほうがいいなと、ふた言、三言にしたんです。象徴的な言葉を大きな文字で出せば、ズドンと入ってくるだろうと思って。でも表現として単純に飽きてきますし、やっぱりこれじゃ足りないな、もう少ししゃべらないとと思うようになりました。

――それが後半の形式ですね。

山田:そうです。言葉だけに集中してもらおうと思って、後半は黒地に文字を載せていきました。

自分なんてあってないようなもの

――山田さん「自身の気持ちであることはまれ」とのことですが、それでもそのとき演じていた役や状況は詩に影響していますか?

山田:それはあるでしょうね。たとえば去年の2月は『ゾッキ』の撮影をしていたのですが、現場で夜空を見ながら書きました。その詩(p.145)を今読み返すと、(『ゾッキ』原作者の)大橋裕之さんの世界に浸っていたのかなと思います。そこにいる自分と、それを見ている自分がいて、それぞれに意識を飛ばして、全部自分なんだけど、そもそもの自分ってどれなんだ?となったときに、「体がふわっと浮いた」気がしたんです。そのときは状況が影響したと思いますが、そもそも僕は役として考えている時間が長いですし、役柄も確実に影響はしていると思います。

――書籍後半に収められた「解説」で、ご自身が書いた詩をすごく客観的に分析していることに驚きました。普段からご自身を客観視できているからですか?

山田:主観とか客観というもの自体が明確にないんじゃないかと思うんです。自分という位置を定めていないので、そのときによって、主観側によるのか、客観側によるのかだけだと思います。

――俳優として役を演じられる際も、自分と役が50/50な状態から、そのときによってふり幅を変えていると、以前お話しされていました。

山田:役者業でいうと、自分がゼロにはならないんですよね。僕を通過している時点で。自分が50%残る、でも50%は捨てて、役に歩み寄る。100%役にもなれないので、役にも歩み寄ってもらって、ひとつになるという感覚です。でも、さきほど自分の位置を定めていないとお話しした通り、メインのポイントがないので、自分なんてあってないようなものだと思っています。

「こう思っています」ではなく、「あなたはどう思いますか?」がやりたい

――「ボク」を媒介としたように、一定の距離を保って俯瞰しながら、何かを伝えようとしているのでしょうか。

山田:決めつけはしたくないんです。監督やプロデューサー業などをしていても同じです。そもそも、すべては受け取り手側次第であって、『デイアンドナイト』をプロデュースしたときも、「僕たちはこう思う」ということはやりたくないと最初から言っていました。「こういうことがありますよね、あなたはどう思いますか?」という提示をしたかったんです。提示されると、自分を見つめますよね。映画なら一緒に観た人や、一緒じゃなくても同じ作品を観たことがある人と「どう思った?」と対話、会話につながっていく。それが僕は重要だと思っているんです。「こう思っています」ということをやりたいのではなく、「あなたはどう思いますか?」がやりたい。

――なるほど。

山田:前にバンドをやっていたこともありますが、歌詞を考えた際も「こういうのがあるけど、どう思う?」というスタンスでした。結局僕がやっていることは、どの位置であろうと、全部が表現です。いま情報が多すぎて、流されている感覚があると思います。そうしたなかで、僕が提示した何かによって、自分自身と見つめ合うきっかけになってくれればと思っているんです。そして何かが変化してくれればと。僕は停滞は恐ろしいと思っているので、みんなの気持ちが、動くためにやり続けています。

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