浅野いにお『うみべの女の子』で“中学生の性”を描いた理由とは? 作品に込められた“体温”

『うみべの女の子』に感じる体温

 2013年に雑誌「マンガ・エロティクス・エフ」で最終話が掲載された浅野いにおの漫画『うみべの女の子』。2021年に実写映画としてよみがえった本作は、映画が公開されてから原作ファンを中心に多くの反響を呼んでいる。

 本作の主人公は海の近くの小さな町に暮らす中学生「佐藤 小梅」と「磯辺 恵介」。過去に磯部から交際を申し込まれた小梅は、好意を抱く先輩から受けた心の傷を癒やすために、磯部と肉体関係をもつこととなる。ふたりは体を重ね続けるが、お互いを思う気持ちは物語が進むにつれてすれ違っていく。性行為で喪失感を埋めようとする中学生の関係を描いた物語だ。

 原作者である浅野氏にとって、映画化された漫画『ソラニン』を描いたあと、「週刊ヤングサンデー」や「ビッグコミックスピリッツ」に掲載された漫画『おやすみプンプン』の連載中に手掛けた作品が、この『うみべの女の子』である。

 執筆のきっかけとして浅野氏は『おやすみプンプン』で感じた掲載誌の限界への腹いせがあったことを明かしている(参考:『漫画家本vol.10 浅野いにお本』少年サンデーコミックススペシャル )。本作の連載中に浅野氏が抱いていた心情が、本作を描いた作品の背景に存在しているのだろう。

 そんな浅野氏と、主人公のひとりである磯部には共通点が多い。

 ひとつは住んでいた町への嫌悪感である。東京から小梅たちの住む町に引っ越してきた磯部は、2巻「第19話」で「…俺/やっぱりこの町嫌いだわ」と口にしている。本作の舞台が茨城県大洗町であることを公言する浅野氏も茨城県の田舎町で育ったこと、中学生のころからヤンキー文化を感じる町から一刻も早く出たいと感じていたことを話している(参考:『漫画家本vol.10 浅野いにお本』少年サンデーコミックススペシャル)。

 別のインタビューで浅野氏は「磯辺は、内側に溜めた自分の感情的な部分を、小梅にしかぶつけられなくて、内弁慶な人間なんですよね。僕も内弁慶だったから、自分が自然に描けるのは、そういう姑息な…姑息な人間だなという気がしたんです」と明かしている(参考:石川瑠華×青木柚×浅野いにお インタビュー ずるくて、痛くて、消えてしまいそうで。あの「思春期」の延長線上に、僕がいる)。

 田舎に嫌悪感を示す磯部というキャラクターは、茨城県の田舎町で息をしていた浅野氏を投影した存在だったのかもしれない。

 映画『うみべの女の子』のパンフレットに掲載されたインタビューで、「何か作者として『うみべの女の子』へ特別に込めた思いなどありましたら、お聞かせいただけますか?」という質問に対し、次のように答えている。

なんでしょうね。特別何かというわけじゃないですけど、いつも新しい連載を始める時に自分らしさを無くそうって、すごく頑張るんですよね。でも出来ないんですよ、出来上がってみると。(中略)『うみべの女の子』に関しては、描いていた時の自分の精神状態が一番作家として向いている時期だったのかなとは思います。とにかくキレ散らかしていましたから。怒っていたという意味だけではないですけど、色々思うところがあったんでしょうね。(中略)特に磯部の喋っている台詞の端々から、当時自分がそう思っていたんだろうなってことが感じられるので・・・。(参考:「映画『うみべの女の子』公式パンフレット」)

 『うみべの女の子』を連載していた当時に浅野氏が抱いていた心情は、冒頭で提示した掲載誌の限界など、創作活動に対するものだったか。田舎町に抱いていた嫌悪感や内弁慶だった自分など、自身の過去に関するものだったのか。もしくはプライベートで感じていたものだったのか。

 ただ「愛のあるセックスなんて幻想なんだよ」や「自分の腹黒さに無自覚で平然と生きてられる奴が世の中多すぎるから/俺等は生きているだけで息が苦しいってことをお前は一瞬でも想像したことある?」など、磯部の台詞に浅野氏の人間味がにじみ出ているからこそ、『うみべの女の子』や磯部は浅野氏のファンから支持され続けているのだと感じる。

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