平庫ワカが語る、作品集『天雷様と人間のへそ』の裏テーマ 「負の感情の代替にしてほしい」

平庫ワカ『天雷様と人間のへそ』インタビュー

高校時代に初めて意識した「読者」の存在

「I am Nobody」©平庫ワカ/KADOKAWA

――「I am Nobody」は、平庫さんが高校時代に描いた習作です。こちらは文化祭のために描いた作品とのことですが、同人誌のようなものを作ったのでしょうか?

平庫:いえ。当時、私は美術部員だったのですが、同人誌ではなく、原画のコピーをファイルに入れて展示したものでした。それを読んで入部してくれた新入生の子が何人かいて、描いた人間としてはかなり嬉しかったですね。そのとき彼女たちからいろいろな感想を聞けたことが、読者がいると意識したことの原体験かもしれません。一方的に作品を描くだけでなく、読んでくれた人からなんらかのリアクションをいただくという。

――新入生たちは、具体的にどういう感想をいっていましたか?

平庫:いつも読んでる漫画とは違っておもしろい、というのが多かったですね(笑)。

――たしかに、一般的な高校生がふだん読む漫画とは、絵的にも内容的にもかなり違う傾向の作品ですよね。詩が挿入されていたり、枠線も含めてすべてフリーハンドで描かれていたりして。こうした手法には、バンド・デシネやアメコミの影響があるのでしょうか?

平庫:海外のコミックにももちろん興味はありましたが、その当時、一番影響を受けていたのはモンキー・パンチ先生の画風です。それに好きな映画の要素などを組み合わせて、漫画が描けたら楽しいかなと実験していた時代でした。ちなみに主人公の男は、当時の私の負の感情をすべて背負わせていたキャラクターだったりします(笑)。

――こうした、プロの漫画家が学生時代に描いた習作を見られるというのは、ファンとしてはうれしいかぎりですが、通常、作家側としては封印しがちですよね。

平庫:今回の単行本は、もともとは新しく描いた作品だけを集めた短編集にする予定だったんです。ただ、巻末に予告を入れている新連載の『海里と洋一』が、最初は短編として構想していたんですけど、プロットを考えているうちに段々長い物語になってしまい……。そうこうしているうちに、担当さんが、「では、『ホット アンド コールドスロー』と昔の作品を集めて単行本にしましょうか」といってくださって(笑)。たしかに高校時代の習作を入れるのは恥ずかしくもありましたが、この機会に、自分の根幹にあるものをさらけ出すのも悪くないな、と考えました。

世界が変わるから自分も変わるという感覚

「ホット アンド コールドスロー」©平庫ワカ/KADOKAWA

――その「ホット アンド コールドスロー」は『マリコ』の後に描かれた作品で、他の収録作と違い、比較的最近の作品ということになります。この作品については、以前、平庫さんご自身がツイッターで、「腹を割って話をする前に頭を割ってしまう夫婦の漫画です」と書かれていて(笑)、これ以上の批評というか、紹介文はない気がするのですが、個人的に感心したのは、『マリコ』が絶大な評価を受けるなか、あまり壮大な物語には向かわずに、こうした地に足がついた、市井の人々のささやかな日常を描かれたことです。

平庫:それについては、個人的に最近ではもう「天雷様〜」みたいなファンタジーを描きづらくなったということが大きいです。特に『マリコ』の後というのは、新型コロナウイルスの問題を初めとした、現実社会で起きる様々なことが深刻すぎて、それに引きずられるといいますか、現実離れした世界の物語を想像しにくくなってしまいました。

――ブランクページに掲載されている自作解説で、『マリコ』が対話する相手のいない自問自答の漫画だったので、フラストレーションが溜まったというようなことを書かれていますが、この作品では、「対話」というか、死者と生者の物語ではない、生きている人間同士のやり取りを描きたかったということでしょうか。

平庫:そうですね。人格のあるキャラとキャラがぶつかり合う物語を描きたいと思いました。『マリコ』はシイちゃん(主人公のシイノトモヨ)の一人舞台みたいな物語で、それはそれで描きがいがありましたけど、今回の話では、主要キャラである夫婦のすれちがいと対話をきちんと描きたいと思いました。

――本作を読むと、自分が変わることで世界を変えようというのではなく、何もしなくてもどうせ世界のほうで変わるものだから、その中で自分たちも変わらないといけない、という深いテーマがあるような気がします。

平庫:優柔不断な日本人らしい考え方だという気もしますけどね。ただ、そういう感覚はかならずしも悪いものでもないと思っています。これは私の母がよくいっていることなんですが、彼女が私や兄を産んだ時というのは、子供が子供を産んだようなものだったそうです。そういうこと、つまり、先に状況の変化があって、その後で収まるところに収まるということは他のケースでも少なくない気がするんですよ。

 たしかに、ひとりひとりが自覚を持って、自分を変えることで世界を変えていこうというのは、いま必要な考え方ではあると私も思うのですが、教育の格差とか環境によって、その前の段階にいる人たちも少なくないと思うんですよ。というよりも、むしろそういう人たちのほうが圧倒的に多いはずで、世界を変えようとしている人たちから見れば「そんな低いレベルの話ですか」ってことかもしれませんけど、私は、どちらかといえばそちら側の人間なので……。

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