アニメ化控えて最新刊がランク入り 『86-エイティシックス-』シリーズの魅力とは?
テレビアニメ『新造人間キャシャーン』で、人間によって開発されたロボットが暴走し、戦闘ロボット軍団を組織して人類を相手に戦いを仕掛けてきたような設定と言えば、分かる人には分かるだろうか。分断と差別を続ける人類の愚かさを描き、AIの悲劇的な将来を描くSFラノベとして、『86-エイティシックス-』は刊行時から注目を集めた。
ギアーデ帝国では革命が起こってギアーデ連邦となり、サンマグノリア共和国は〈レギオン〉に敗北したものの戦争は終わらず、国vs国から人類vs〈レギオン〉へと移行する。連邦に逃れたシンたちは、戦いばかりだった生活から抜けるチャンスを得ながら他に道はないと戦場に戻り、知性を得て思考力も付け強さを増す〈レギオン〉を相手に様々な作戦をこなしていく。魅力的なメカや強力な銃器がふんだんに登場して、スリリングなバトルを繰り広げる展開に、ミリタリーSFとしての楽しみも味わえるシリーズでもある。
最新刊『86-エイティシックス-Ep.9 -ヴァルキリィ・ハズ・ランデッド-』では、「86」たちに感じた理不尽さが蘇ってくる衝撃的な描写が繰り出される。ノイリャナルセ聖教国とともに戦場に赴くことになったシンたちが、〈レギオン〉と戦っているまさにその時、聖教国軍を指揮する少女が裏切りともとれる行為でシンたちに決断を迫る。
生まれた家によって就く仕事が決まっている聖教国では、軍人や兵士もずっと同じ家系から出ていたが、長引く〈レギオン〉との戦いは、戦う者たちの数を減らし続け、もはや幼児であっても戦場に立つことが求められる苛烈な状況にあった。無人機と称するマシンに「86」が乗せられていたのと同じ残酷な境遇だが、シンたちと違うのは、そうした運命でも、信仰の中で尊いことだと思わされていた点だ。
聖教国の兵士たちは当たり前のように戦場に赴き、散っていく。唯一の戦える身分だったが故に栄誉が与えられていたからだが、そんな栄誉が無意味だったと思わされる方針転換があった時、それでも聖教国の兵士たちは死の恐怖に打ち勝って、命を散らせただろうか。狂信の行き場を外されたが故に浮かぶ戸惑い。それは、シンや仲間たちが戦うことだけを人生のすべてにしてきた状況から抜けられず、戦場に戻ったことに重なる。働き盛りでリストラを食らった人が陥る空虚感にも。
名誉だから、任務だから、仕事だからと人生のすべてをかけてきたものが奪われ、空虚な気持ちや裏切られたという思いを抱きたくないからと、奴隷のような境遇に浸り続けることなど論外だと言い切れるのか。言い切るなら、代わりに何を人生の糧として求めていけばいいのか。そんな模索がこれから進んでいくのだろう。続く物語に期待しつつ、4月からスタートするテレビアニメでは、シリーズを改めて追いながら、映像として繰り広げられる戦闘シーンの迫力や、シンのクールさ、レーナの高潔さを楽しみたい。
■タニグチリウイチ
愛知県生まれ、書評家・ライター。ライトノベルを中心に『SFマガジン』『ミステリマガジン』で書評を執筆、本の雑誌社『おすすめ文庫王国』でもライトノベルのベスト10を紹介。文庫解説では越谷オサム『いとみち』3部作をすべて担当。小学館の『漫画家本』シリーズに細野不二彦、一ノ関圭、小山ゆうらの作品評を執筆。2019年3月まで勤務していた新聞社ではアニメやゲームの記事を良く手がけ、退職後もアニメや映画の監督インタビュー、エンタメ系イベントのリポートなどを各所に執筆。