『異世界食堂』『ダンジョン飯』『幻想グルメ』……なぜ人は“異世界メシ”に惹かれるのか?
非実在食品を読んで/見て味を想像する行為から考えるメシものジャンルの不思議さ
しかしよく考えると、作者も読者も当然ドラゴンの肉やスライムなんか食べたことがないわけで、味も食感もわからない。にもかかわらず文章や絵を見て、うまそうとかまずそうとか感じてしまう。これはいったいどういうことなのか。
われわれはフィクションの食事描写にいったい何を求めているのだろう。
その食べものが実在しているかどうかなど関係なく、現実世界にある料理に似せた雰囲気が描写され、キャラクターがうまそうな顔をしていればうまそうに思ってしまう。読んでいて、食べる幸せが分かち合えたような気がする。
いや待て。そもそも『美味しんぼ』に出てくるような高級食材を使った料理だって、『ラーメン発見伝』に出てくるような変わり種のラーメンだって、食べたことがないものはざらにある。出てくる食べものが実在か実在じゃないかなんて、メシものの魅力の本質とは関係ないんじゃないか?
ではその区別が意味をなさないのだとすると、逆に、リアル寄りのグルメものが受け手に提供しているものとはいったいなんなのか。実在のものじゃなくていいなら、なぜ現実にあったらうまそうなものを描いているのか。
だいたい、われわれがメシもので見ているのは文字や絵、映像で描かれたフィクション、虚構にすぎない。実際食べているわけではない。自分が食べているわけでも食べられるわけでもないのに、現実で目の前で起こっていることだろうと、虚構性が強いものだろうと、人間が食事しているのを見るという行為になぜこんなに惹かれるのか。なぜこんなに需要があるのか。
食欲と並んで原始的な欲求と言えば性欲だが、ポルノは性欲を発散するための実用性がある。しかし腹が減っているときにメシものを読んでもおなかは膨れない、つまり実用性はない。逆に、おなかいっぱいのときに読んでも満足は得られる。睡眠欲を刺激するフィクションに対する需要はメシものと比べると皆無に近い。即物的な欲求と紐付いているように見えて、メシものジャンルの特異性は際立っている。
このように、実在の食材を用いた料理をフィクションで楽しんでいるときには意識していなかった疑問が、非実在食品が登場するファンタジーメシものを横に置くことで、一気に浮上してくる。
まったく気負わず読めることが魅力な異世界メシ作品は、よくよく考えていくと「いったいなぜこれを楽しいと思うのだろう……?」「フィクションの食事描写を快く思うとはどういうことなのか?」「何のために人間にそんな機能が備わっているのか?」という哲学的、進化心理学的な疑問を誘発するものでもある。
ここに人類の謎、世界の謎があると言っても過言ではない。
すぐれたファンタジー文学を読む喜びとは、作中で提示される答え以上に、ちりばめられた多くの/大きな問いに向き合うことにある。
異世界メシには、ファンタジーの本質的な魅力が詰まっている。
■飯田一史
取材・調査・執筆業。出版社にてカルチャー誌、小説の編集者を経て独立。コンテンツビジネスや出版産業、ネット文化、最近は児童書市場や読書推進施策に関心がある。著作に『マンガ雑誌は死んだ。で、どうなるの? マンガアプリ以降のマンガビジネス大転換時代』『ウェブ小説の衝撃』など。出版業界紙「新文化」にて「子どもの本が売れる理由 知られざるFACT」(https://www.shinbunka.co.jp/rensai/kodomonohonlog.htm)、小説誌「小説すばる」にウェブ小説時評「書を捨てよ、ウェブへ出よう」連載中。グロービスMBA。