名短篇「トニー滝谷」の元ネタはたった1ドル? 村上春樹が愛する“Tシャツ”の世界
では、普段どんなTシャツを着ているのかといえば、無地や〈ぶっきらぼうにただ文字だけが印刷してある〉ものが多いという。「意味不明だけど」では、文字だけのシンプルでメッセージ性のないTシャツのコレクションを披露するが、ここで小説家ならではの欲望に突き動かされる。〈しかしこのDMNDというのはいったい何を意味しているのだろう?〉と、他人に主義主張を勘ぐらせたくなくて着ているTシャツの意味について、本人が知りたくなる。会社名の略?ロックバンド名の略?それとも、「Damned」(呪われたやつ)の略?などと想像をめぐらせてしまうのだ。
そんな村上の想像力を最もかきたてた一着が、本書のまえがきで紹介されている。ハワイのリサイクルショップで1ドルくらいで買ったという、「"TONY” TAKITANI」と正体不明の人物の名前がプリントされたTシャツだ。短篇小説「トニー滝谷」(『レキシントンの幽霊』所収)の元ネタとなった服であり、作中ではどこかで聞いたような話が出てくる。
売れっ子イラストレーターであるトニー滝谷には、ひとつ心配事があった。それは妻が、洋服を目にすると買わずにはいられない癖のあることだった。毎日2回着替えても、全部を着こなすのに2年近くかかるほど服は溜まっていく。心配したトニー滝谷は買うのを控えてはどうだろうと妻に対して釘を刺すも、忠告が思わぬ悲劇を招いてしまう。
一方、「TONY TAKITANI」のことを勝手に想像して小説を書き、映画化までされて、〈たった1ドルですよ!僕が人生においておこなったあらゆる投資の中で、それは間違いなく最良のものだったと言えるだろう〉と、冗談っぽくドヤる作者の村上春樹。こうした軽みのある生き方をする人に良く似合うファッションアイテム、それがTシャツなのだと思う。
■藤井勉
1983年生まれ。「エキサイトレビュー」などで、文芸・ノンフィクション・音楽を中心に新刊書籍の書評を執筆。共著に『村上春樹を音楽で読み解く』(日本文芸社)、『村上春樹の100曲』(立東舎)。Twitter:@kawaibuchou
■書籍情報
『村上T 僕の愛したTシャツたち』
著者:村上春樹
出版社:マガジンハウス
https://magazineworld.jp/books/digital/?83873107AAA000000000