名短篇「トニー滝谷」の元ネタはたった1ドル? 村上春樹が愛する“Tシャツ”の世界

村上春樹が愛する“Tシャツ”は小説のネタにも

 雑誌『ポパイ』の連載をまとめた本書『村上T 僕の愛したTシャツたち』は、村上春樹が所有するTシャツの中から、毎回テーマに合ったものを選んで写真を載せ、短い文章を付けたエッセイ集だ。

 面白そうなデザインやご当地物があれば買い込むし、さらに各所でプレゼントされることもある。本人も気づかぬうちに集まってしまうTシャツのコレクションは、〈抽斗に入りきらなくなり、段ボールに詰めて積み上げて〉なんて状態だという。

 本書に登場するTシャツの数は、除夜の鐘でもお馴染みである煩悩の数と同じ108着。村上春樹にとって、Tシャツとは自らの尽きない欲望を表すものなのだろうか? 

 全18篇のエッセイでお題となるのは、著者の趣味嗜好にまつわるものが多い。「レコード屋は楽しい」では、レコードを買い続けて量が増えるのに困っていると言いながらも、〈まあアディクション(中毒)というか、病気みたいなものなので、仕方ない〉と開き直る。掲載されているTシャツには、レコード盤から血が滴り落ちるホラー系のデザインで、「VINYL JUNKIE」と書かれている。

 ストイックなイメージのあるマラソンがテーマの時も、欲望は付いてまわる。ランナー5人が手を繋ぐイラストのあしらわれた大会Tシャツに象徴される、市内5つの区を走り抜けるコースで、〈ニューヨークという巨大な街の本当のありようを理解するには、このレースを走るに限る〉というニューヨーク・シティ・マラソン。〈これくらい「伝統」の重みというものを感じさせてくれる大会はない〉というボストン・マラソンなど、数々のレースを完走してきた村上。ことマラソンになると欲望の付け入る隙はないかと思いきや、ビールのおいしい土地でのレースになると、〈冷えたビールのことって、ついつい考えちまうんですよね〉。そんなわけで、このエッセイのタイトルは、「冷えたビールのことをつい考えてしまう」である。

 でも、時には自制心が働くこともある。それが、「着れないTシャツ」を手に取った時だ。村上は巻末のインタビューで、〈結局、僕は人目を引きたくないんですよ〉と話している。その信条の通り、エッセイ「ウィスキー」の中でウィスキーの飲み方について饒舌に語っても、〈ひょっとして傍目にはアル中のおっさんみたいに見えるかもしれない〉と、銘柄の名前が入ったTシャツを外で着るのはためらう。「気を落ち着けて、ムラカミを読もう」に出てくる、海外の出版社から送られてくる自著の販促Tシャツは、本人が着たら面白そう。だが、〈「Haruki Murakami」とでかでかと書かれたTシャツを、村上春樹さんが着て、白昼堂々青山通りを歩くわけにはいかないでしょう?〉と、やはり着ない。

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