漫画家にとって“絵柄”はもっとも大事なものだ 『アクタージュ act-age』報道、「表紙」使用の是非を考える
おそらくいま本稿を読んでくださっている方の多くは、8月8日に『アクタージュ act-age』(以下『アクタージュ』)の原作者が逮捕され、それを受けた掲載誌(『週刊少年ジャンプ』)の編集部が同作の連載終了(打ち切り)を発表したという“事件”について、ご存じだと思います。当然、ネットでも「原作者逮捕」や「打ち切り」のニュースが次々と流れていきましたが、そのいくつかの“報道の仕方(見せ方)”に違和感をおぼえた私は、8月10日の18時21分に、以下のようなツイートを投稿しました。
『アクタージュ』の打ち切りの件、漫画家には罪はないわけだから、各マスコミのニュースで、コミックスの表紙の絵を使うのはやめた方がいいと思います(あの絵が今回の件と一緒に人々の記憶に刷り込まれてしまうため)。漫画家にとって絵柄(画風)はもっとも大事なものだということがわかってない。
— 島田一志 (@kazzshi69) August 10, 2020
もともと個人的な「つぶやき」だったこともあり、最後の文章は少々キツめな書き方になっているような気もしますが(オフィシャルな文章だったらもう少し柔らかく書きます)、このツイートを投稿後、いいねとリツイートの数は増えつづけ、いわゆる「バズった」状態になり(これを書いている時点で、いいねの数が9.2万、リツイートが2.9万です)、あらためて今回の事件が社会に与えた衝撃の大きさと、『アクタージュ』という作品に対する人々の関心の高さを知ることになりました。いただいたリプや引用リツイートの多くは賛同(同意)の言葉でしたが、もちろん反論めいた意見も少なからずありました。なかでも強く私の印象に残ったのは、「漫画家にも連帯責任はあるのだから、ニュースなどで絵が使われるのは仕方がない」という意見でした。
本稿では、それについての私の見解と、140字の「つぶやき」では伝えきれなかったことを補足しようと思っているのですが、「反論に対する反論」のようなものを期待している人にとっては肩透かしな内容かもしれません。ですので、興味のある方のみ、ここから先の文章をお読みいただけたら幸いです。
漫画の「原作者」とは何か
話は少し遠回りになるかもしれませんが、まずは、漫画の世界における「原作者」という存在について説明したいと思います。リアルサウンド ブックの読者には釈迦に説法かもしれませんが、ひと口に「原作者」といっても、いくつかのタイプに分けられます。
最もオーソドックスなのは、「漫画のもとになるオリジナルの物語を書く人」だと思いますが、このタイプの原作者とは、映画やドラマのシナリオライターに近い存在だとお考えください。実際、彼らの多くはシナリオ形式で原作を書いていますが、人によっては小説形式だったり、ネーム形式(漫画の下書きに近い状態のもの)だったりする場合もあるようです。要は、漫画家(作画家)にストーリーやセリフさえ伝われば、どんな形であってもいいということでしょう。
次に多いのが、既存の小説が漫画化された際、その作者(=小説家)のことを「原作者」と呼ぶ場合です。この場合は、すでに亡くなっている作家もいますし、現役の作家も、漫画のために新たに何かを書く、ということはまずありません(ただし、ネームチェックなどの面で、漫画制作に関わる人はいるかと思います)。
あとは、最近ではあまり見かけなくなりましたが、有名人(芸能人やスポーツ選手など)が、名前だけを「原作者」として貸す場合があります。もちろん、「広告塔」的な役割を果たすだけでなく、それぞれの専門知識を漫画家や編集者に教えるブレーン的な存在である場合も少なくないと思います。
以上が、とりあえず私が思いつく漫画の原作者の形なのですが、こうした「物語を書く人(あるいは物語を提供する人)が漫画家とは別にいる」ということは、漫画や本をよく読む人以外には、あまり知られていることではないのかもしれません。なぜならば、多くの人々は漫画家のことを、(たとえば手塚治虫先生のような)ひとりで物語も絵も描けるある種のマルチアーティストだと思っているからです(たしかにそれが日本の漫画家の主流ではありますが)。
そういうこともあり、漫画にあまり詳しくない人が、「漫画の原作者」という言葉を聞いて何を思い浮べるかといえば、それは「漫画家そのもの」である場合が少なくない気がします。さらにいえば、「『DRAGON BALL』の原作者・鳥山明先生」とか、「『鬼滅の刃』の原作者・吾峠呼世晴先生」というような呼び方を見たり聞いたりしたことはないでしょうか? そう、アニメやドラマになるようなヒット作を描いた漫画家のことを、メディアでは「原作者」と紹介することが多々あり(もちろん、その呼び方も間違いではありません)、そのイメージが世間に広く浸透している、ということもあるかもしれません。そうしたモロモロのことを頭に入れたうえで、今回ネットで流れたニュースの見出しをいくつか見てください(サイト名はあえて挙げませんが、いずれも有名なニュースサイトです)。
ジャンプ編集部、漫画『アクタージュ』原作者の逮捕報道に謝罪「重く受け止めております」
ジャンプ漫画『アクタージュ』連載終了を発表 原作者の逮捕受け
原作者逮捕の「アクタージュ」 ジャンプで連載打ち切り
こうした見出しのすぐそばには、『アクタージュ』のヒロインの顔が大きく描かれたコミックス第1巻の書影がサムネイル画像として表示されています。これでは、ニュースの本文を読まずに、見出しとサムネイル画像をパッと見ただけの人――特に、先に書いたような原作者とは漫画家のことだと思っているような人は、「この絵の描き手が逮捕された」のだと誤解してしまうとは思いませんか。
漫画家にとって“自分だけの絵柄”は「顔」に等しい
いまさら私がここで力説するまでもなく、漫画家やイラストレーターにとって、長い時間をかけて生み出した“自分だけの絵柄”は「顔」に等しいものです。つまりその「顔」を、不特定多数の人々が目にするメディアで、誤解を招くような形で流布させるというのは、報道する側の“配慮”が欠けているのではないかと私は思うのです。
もちろん、なんらかの画像があったほうが、テキストだけのニュースよりはPV数を稼げるということはあるでしょう。でもその場合も、コミックスの書影の全体像からタイトルロゴのあたりを中心にトリミングするとか、『ジャンプ』編集部が発表した連載終了の告知を「画像」として使うとか、やりようはいくらでもあったと思います(ちなみに8月17日に『アクタージュ』のコミックスの無期限の出荷・配信停止が報じられましたが、いくつかのニュースサイトでは、あいかわらず1巻の書影がサムネイル画像として使われています)。
いずれにせよ、先に挙げたようなニュースの見出しを読んで、『アクタージュ』がどんな絵の漫画なのかを知りたいと思った人は、自分で検索して調べればいいのです。そこまでする人は、ある程度積極的に情報を知りたいと思っているわけですから、同作には「原作」と「漫画」を担当するふたりの作者がいて、今回事件を起こしたのがそのどちらなのかということは理解できるはずです。つまり、繰り返しになりますが、私が危惧しているのはあくまでも、ニュースの見出しとサムネイル画像をパッと見ただけの、あまり漫画に馴染みのない不特定多数の人々が、「原作者逮捕」「打ち切り」というネガティブなワードとともに、あの絵を「不祥事を起こした人物の絵」として、無意識のうちに記憶してしまうのではないだろうか、ということなのです。