『夢をかなえるゾウ』著者・水野敬也が語る、夢を手放すことの意義

水野敬也が語る、夢を手放すことの意義

 シリーズ累計400万部超の自己啓発小説『夢をかなえるゾウ』の最新刊『夢をかなえるゾウ4 ガネーシャと死神』が刊行された。夢をかなえて成功する方法を、ゾウの姿をした関西弁の神様ガネーシャと悩める主人公とのおもしろおかしいやりとりを通じて描いていくことで人気を博したシリーズだが、なんと今回の本で扱われるのは「夢を手放す」方法だ。

 コロナ禍で夢の軌道修正を余儀なくされた人も多いだろう今、タイムリーな本だと言えるが、ベストセラーを執筆して成功を収めた人がなぜこんな本を書いたのだろう? という疑問もある。著者の水野敬也氏に夢との向き合い方について改めて訊いた。(飯田一史)

夢をかなえただけでは幸せになれない

水野敬也『夢をかなえるゾウ4 ガネーシャと死神』(文響社)

――『夢をかなえるゾウ4』では夢を手放して現実を受け入れる方法をテーマにしていること、主人公が死を強く意識していて、死から逆算した生き方を指南した本でもあることに驚きました。

水野:コロナもそうですが「人は必ずいつか死ぬ存在だ」と意識する出来事が重なって、僕個人の感覚としても死が身近になる瞬間があった。でも3.11のときもそうだったけれども、たぶんほとんどの人はコロナ禍が過ぎればまた日常に戻っていき、「いつか死ぬ」という当たり前の現実を忘れてしまう。そういうことに取り組みたいとずっと思っていたんですが、なかなかうまく書けなかった。

 それとはまた別の問題意識もありました。僕は自己啓発書を通じて「お金持ちになる」「仕事を認めてもらえる」といった資本主義社会の中でのピラミッドの登り方を書いてきた。でもここ4、5年で「それを追いかけても幸せになれない」と感じる出来事がたくさんあった。だから今までとは毛色の違う実用知識を伝えられないかと思って、上下巻の上巻で「夢をかなえる」、下巻では「かなえただけではうまくいかない」という構成の本を書いていた――けれども、こちらもうまくいかなかった。

 ただその作品を作る過程で「死は夢を必ず分断する」と気付いたんです。アインシュタインは相対性理論を発見したから「夢をかなえた人」と認知されているけれども、彼が望む宇宙の統一理論を完成させることはできなかった。死んでしまったからです。死は「夢はかなわない」ことを強制的に受け入れさせる。

 この気づきと、「資本主義のピラミッドをどこまでも登ることがいいのか?」という違和感が結びついて『夢をかなえるゾウ4』が生まれました。

夢は人を鼓舞するものであると同時に、苦しめるものでもある

――今年出た高部大問さんの『ドリームハラスメント』では「夢を持てと言われてもやりたいことがないし、つらい」という子ども・若者の悩みが前提になっており、「夢って必要なのか」というそもそも論に斬り込んでいます。『夢をかなえるゾウ4』も「夢を持って成功する」モデルから一歩引いて考える点では共通している気がしますが、いかがですか。

水野:『ドリームハラスメント』は「夢を持て」と他人が強制したり、「そんな夢じゃダメだ」と介入することはハラスメントである、という糾弾の書ですよね。

 僕自身、物心がついたときには「良い大学に行き、良い企業に勤める」という社会的価値観を強制されるように生きていました。たとえば親から「弁護士か医者になれ」と。弁護士と医者なんて「資格があって給料が高い」以外の共通点は何もないと今では思うんですが、それが「お前の夢だ」と思わされていた。そういう押しつけにはたしかに問題がある。

 ただ一方で、夢を追うのを一切やめるのもどうなのかと。僕もブッダみたいに「執着を手放す」ことを目指して断食したり、お寺で瞑想の修行をしてみたんですね。でも瞑想している間にも、たとえば地球はどんどん温暖化していく。そう考えると、社会を変えていくためにも夢は必要だし、とはいえ同時に夢がもたらす弊害もある。夢や資本主義には、すばらしい面と人を苦しめる面の両方がある。だから最終的には全体を理解して読者が選ぶのが理想なのかなと。

――作中で、どうせ人間の夢なんて「金持ちになりたい」「モテたい」「歴史に残る仕事がしたい」とか何パターンかしかない、とガネーシャが言っています。夢なんてなんでもいいはずなのに、収入や社会的なステータスみたいな「枠」が社会的につくられているからみんな似たようなことしか言わないのかも、と思いましたが、いかがですか。

水野:ガネーシャが言うとおり、現代社会でみんなが思い描いているような夢は資本主義社会が広めた価値観であって、ここ300年くらいしか流通していない願望にすぎないと思います。でもそれだけを追い求めてもキリがないし、幸せになれない。

 たとえば「人から認められる」ということひとつとっても、テイラー・スウィフトのTwitterのフォロワーは8000万人、僕のフォロワーは5万弱です。そうすると僕の価値はテイラーの1600分の1しかないことになる(笑)。世の中の人の収入でも年収1億円と100万円だと前者のほうが価値があるように思うかもしれない。でも一歩引いて考えたら、ひまわりとほかの花を見比べてあっちよりこっちがでかいとか言っているようなもので、価値はそれぞれにあるに決まっている。資本主義的な「どこまでも上を目指せ」という圧力と「人と比べる」ことがあいまって、人を苦しめているわけです。

 ただこういう価値観から世の中はちょっとずつ変わろうとしている気がします。今の時代の空気としてもそうだし、僕自身の経験を経た変化としても。

どこまでも上をめざすことで幸せになれるのか?

――2007年の『夢をかなえるゾウ』と2020年の『夢をかなえるゾウ4』では、夢に対する世の中の考え方や水野さん自身の変化が変わってきている?

水野:いわゆるミレニアル世代以降の若い人と話していると、資本主義的価値観よりも民主主義的価値観を大事にしていて、僕らやその上の世代とは違いますね。すばらしいと思える人が多い。「良いクルマに乗る」「良い家に住む」とかでドヤ顔したいという欲求が僕たちよりも圧倒的に低い。一方で政治・社会問題に関心が高くて、ソーシャルグッドを本気で考えている。

 僕自身の話をすると、最初の『夢をかなえるゾウ』ではイケてる人たちのパーティに行った主人公がショックを受けて一念発起するわけです。「他者に優越してドヤ顔するには」という欲望に駆動されている。ところが僕が書いたそんな内容の本がドラマ化されて、僕がいざイケてるパーティに招かれたらどうだったか。自分が主役になれるのかと思ったら……結局アウェイなんかい! ということを実感するだけでした(笑)。

――イケてるパーティに行けるようになったら、パーティでドヤれるような別のスキルが求められたわけですね(笑)。

水野:ピラミッドの上まで行けたと思ったら、振り出しに戻る。そういうコマがたくさん用意されているボードゲームをやっている気分になりました。それとさっき言ったテイラー・スウィフトとの比較もそうなんですが、アメリカのほうが資本主義やエンターテインメントの世界では上だという価値観がありますよね。そうすると日本でピラミッドを登りつめたとしても「次はハリウッドだ」とか、もっともっと上に行かなきゃということにもなってくる。でもこれをどこまでも追い続けていくのってナンセンスじゃないか? 病んでるよな、と思い始めた。

 最初の『夢をかなえるゾウ』を書いていたころ思い描いていた「このくらいお金が手に入ったら幸せになれる」みたいな願望が実現した先には、幸せはなかった。むしろ「ピラミッドをのぼっていくことで幸せになれる」という価値観が揺さぶられる瞬間が多かったんです。ただそこには苦しさだけでなく楽しさも充実感もあったので、表現が難しいんですが……。

――水野さん自身も夢を手放すことに苦しんだ?

水野:そうですね。2、3年前にある媒体で有名な女優さんとごはんを食べるという連載企画をやっていまして。女優とメシ食って仲良くなりたい!(笑) ……と思っていたのに、いざ始まってみると僕は毎回「吐くんじゃないか」という強迫観念に駆られて、料理が出たらとにかく小さく切る、でもこわくて結局食べられない。それで心療内科に行ったら神経症の一種である「会食恐怖」だと言われました。

 僕は中高が男子校で周囲に女性がいない思春期を送ったので「女性は遠くから見るもの」というマインドセットが根っこにあるんです。そこから抜け出して「魅力的な女性とごはんを食べる」というピラミッドを登りたいという気持ちと、こんなところは自分の居場所じゃない、自分には合っていないという気持ちがせめぎあっていて――結局、連載は自分から言って途中でやめさせてもらいました。

 僕は『LOVE理論』を書いた人間ですから、もともとは「現実世界の恋愛を必ず成就させる」という価値観で、バーチャルなものは否定してきたんです。だけどこの経験を通じて、憧れの存在に近づくことが正解とは限らない、テレビでアイドルを見ていた人のほうが幸せかもしれない、いろんな人がいてもいいんだ、と気付くことができた。

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