桂正和『I”s』は伊織との疑似恋愛を体験させてくれた 一人称視点の純愛物語に共感

桂正和『I”s』は伊織との疑似恋愛を体験させてくれた 一人称視点の純愛物語に共感

 「美少女を描かせたら日本一」と称される桂正和。『ウイングマン』『電影少女』『ZETMAN』などヒット作を数多く手掛けてきた作者の、ある意味1番の代表作とも言える作品が『I”s』である。1997年に連載が開始された本作は、20世紀最後にして至高のピュア・ヒロイン、葦月伊織を生み出した功績はもちろんだが、究極の純愛漫画として、世の中高生の心をガッチリと掴んだ傑作である。なぜ我々はこの作品に魅了されるのであろうか?

SF、アクション、ヒーロー要素が排された純粋な恋愛漫画

 まず『I”s』が生まれた背景を考えてみたい。『I”s』は主人公である瀬戸一貴が高校の同級生、葦月伊織に恋をして、その恋を実らせていく高校時代〜高校卒業後を描いた、ド直球の恋愛漫画である。桂自身が好むSF、アクション、ヒーローという要素は一切排除されており、それ故にギミックや設定の面白さに頼れない、人間ドラマとしての物語づくりを迫られることになる。おそらくは『電影少女』後の連載になる『SHADOW LADY』『D・N・A2』が短命に終わったこともあり、編集部としても「やはり桂は恋愛もので」というスタンスになり、桂自身もその結果があったからこそ、逆にシンプルな恋愛漫画に取り組めたのではないだろうか? その結果、『電影少女』のあい編を超える当時の最長編となる作品に仕上げたことは、作者の才能の豊かさを物語っていると言えよう。

『I”s(2)』文庫版表紙

 『I”s』の魅力となるポイントはいくつもあるが、やはりこの作品が成功した最大の要因は主人公・一貴の一人称視点で物語を描き上げたことではないだろうか? 『電影少女』では主人公・洋太とあい、そして貴志やもえみらの心理描写がそれぞれのスタンスで描かれていた。それぞれのキャラクターの秘めた思いが読者としてわかるからこそ、すれちがう思いや心にヤキモキし、共感し、悲しむことができ、それがクライマックスの感動に繋がった。しかし今作はあくまでも一貴の心理描写しかないので、何かが起こったとき、一貴がどう考えて行動したかはわかるが、そのとき伊織がどんな心境だったかは一貴同様読者も知る由はない。これが本当に途中まで伊織が一貴に好意を持っているとは思わなかったし、どこから変化していったかもわからない。それは最終的にわからないのも当然だということが示されるのであるが(笑)、感情移入できるキャラクターが一貴しか存在しないので、どうしても読者は一貴に思いを重ねて物語を読むことになる。この擬似恋愛体験を続けられたら、誰もが伊織に恋をしてしまうことは間違いないだろう。

 そういう疑似体験をさせられる一貴という男の子が、思春期の青臭さ全開の性格をしているのも、より同世代の読者の共感を得るポイントであったと言えよう。『電影少女』の主人公もそうであったが、桂恋愛漫画の主人公の共通ポイントは過去に(個人的に)トラウマが残るような失恋をしているということである。大人から見たら大したことのない失恋でも、その世代の少年からしたら、ただでさえ思春期特有の変なプライドの高さもあって、照れ、勘違い、ええかっこしいなども相まって、事態を大きく受け止めてしまうのは、誰しも経験していることだろう。そして、そんな失恋してしまったが故にか、ピュアでおしとやかで育ちが良さそうな美少女に恋心を抱いていくのである。

 一貴の人生を疑似体験させるに当たって、一貴自身はもちろんヒロインの性格も、共感できるポイントの多い最大公約数的な要素を持ち合わせている。一方で、純粋に伊織のことを好きな気持ちは持ち続けているのに、伊織の思いがわからず、自分に好意を持つ人間が現れると、一貴は優柔不断な態度も見せる。そんな一貴に共感しできつつも、うらやまけしからん思いで見ていた読者も少なくないだろう。しかも、いつき、泉、藍子ら一貴の前を通り過ぎていく女の子たちは誰もが良い子すぎて、結局最後はみんな一貴に好意を持っているのに一貴を応援し、背中を押す立場になっていくのである。こんなにも素晴らしい少女たちは、世の中にそうそういるものではないだろう……。

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