『ONE PIECE』麦わら海賊団にブルックが必要な理由とは? 今こそ見直したい、その存在意義
「ルフィ海賊団にブルックって必要なの?」
こんな疑問の声が、彼が“麦わらの一味”に加わってからというもの少なくない。もちろん、「大切な仲間だ! 必要に決まっている!」と大声で答えたいところだが、これはいち読者による、個人的かつ感情的な意見に過ぎない。しかし、個性的な一味の中でも一際目立つあの特異な風貌や、義理人情に厚い一面、ユーモラスなキャラクター性を支持する声が多いのも事実だ。ここでは大マジメに、マンガ『ONE PIECE』における「音楽家・ブルック」の必要性について考えてみたいと思う。
単行本の46巻・442話で初登場し、50巻・489話で晴れて一味に加入したブルック。彼は音楽家である。「海洋冒険ロマン」を謳う『ONE PIECE』において、とうの登場人物たちにとっては、彼こそ絶対的に必要な存在だろう。音楽家がいれば船旅は盛り上がることこの上なしだ。しかし、絵を見て文字を読む私たち読者からすれば、彼の奏でる音楽は聴こえやしない。強力な剣士や航海士、料理人、医者……などと比べれば、その存在の必要性がわかりにくく感じても仕方がないことだと思う。それに戦闘法が剣術というのは、ゾロと被る。つまりブルックとは、一味にとって“不要不急の存在”に思えるのだ。しかしながら我らがルフィ船長は、ほかのスペシャリティを持つ面々を差し置いてまでも、「音楽家を仲間に入れたい!」と早い段階からたびたび口にしていた。それに長期連載の『ONE PIECE』のこと。驚天動地の伏線回収劇を次々やってのける本作とあって、尾田栄一郎先生は必ずやどこかで音楽家を仲間に加えることを構想していたはずだし、ブルックと巨大クジラ・ラブーンの感動的なエピソードに決着がつくのはまだ先のことだろう。
私たち読者の生活する現実世界でも、「音楽」は“不要不急なもの”の一つとされてしまっている感が否めない。ライブハウスは閉店を余儀なくされ、“自粛警察”なる存在まであらわれる世の中だ。もちろん、誰もが苦しみを強いられているこの環境下。人が多く集まる場所は、ウイルス感染源の温床ともなりかねない。であれば、「音楽は自宅で一人で楽しめばよい」という声が上がるのも当然だ。インターネットが隆盛を極める現代では、サブスクリプションサービスが充実し、自宅にいながら世界中のあらゆるジャンルの音楽にアクセス可能である。それに、とうの「音楽家」たちも、自らの音楽を直接的に届けたいはずの気持ちを抑え、“ステイホーム”の呼びかけとともに、オンラインにて音楽を発信しているところだ。
とはいえ音楽というものは、文学や絵画、映画や演劇など、ほかの諸芸術、あるいはエンターテインメントよりも比較的早い段階で存在していたはずだ。手を叩き、足踏みをすれば、そこでは音が鳴るし、その強弱やテンポを変えればビートが生まれる。動物や虫たちだってそうだ。たとえ彼らが意識的でないにせよ、鳥が美しい音色で鳴けば、私たちはそれを“歌声”と呼んだりもする。そもそも考えてみれば、私たち誰もが生まれて初めて触れる芸術/エンターテインメントというのは、ほぼ間違いなく音楽だろう。日常には「音(楽)」が溢れているし、“胎教音楽”というものさえ存在するくらいなのだから。これらを鑑みると、誰もが生の音楽というものを欲するのもまた、当然のことなのだと思う。
さて、では改めて、なぜ音楽家のブルックが必要なのか?