隈研吾が語る、20世紀的な建築からの脱却 「新しい時間の捉え方が必要なのかも」

隈研吾が語る、これからの建築

建築における、新しい時間の捉え方

ーー先日、隈さんが駅舎のデザインを手がけた高輪ゲートウェイ駅が開業しました。点字ブロックが従来の黄色ではなく、ライトイエローになっているところなどが新鮮で、大規模建築でも新しいことに挑戦していることが伺えました。

隈:あの点字ブロックは、東京大学分子細胞生物学研究所で視覚障害者の研究をしてきた伊藤啓准教授の提案から開発したもので、実は濃いイエローより視認性が良いんです。面白いアイデアが出たときに、実現に向けてうまく一緒に走れるパートナーがいるのは、僕にとって一番大事なことの一つです。

ーー建築は、常に新しいテクノロジーとともに発展してきた側面もあると思います。隈さんの提唱する「負ける建築」は、現代的なテクノロジーを否定して環境と調和しようとするのではなく、むしろ積極的に活用しようとしていますよね。

隈:新しいテクノロジーへの関心はすごく強いです。1980年代半ばから米国コロンビア大学でコンピューテーショナル・デザインやパラメトリック・デザインの研究が行われるようになり、僕はちょうどその頃に研究員としてコロンビア大学に行っていたから、その影響があるのでしょう。しかし当時、「これはすごいことが始まった」と感じてはいましたが、一方でコンピュータが描くグニャグニャのデザインには違和感もありました。その違和感の正体を、約5年前に理論的に説明してくれたのが建築史家のマリオ・カルポです。建築史の聖書というくらい有名なレイナー・バンハムの 『第一機械時代の理論とデザイン』(1976年)という本では、機械には機関車や船などのデザインの「第一マシンエイジ」と、テレビやラジオなどのデザインの「第二マシンエイジ」があって、それらはまったく異なるものだと説明しています。同じように、コンピューテーショナルデザインにも第一マシンエイジと第二マシンエイジがあり、僕が無意識に志向した粒子の集合という考え方は、コンピューテーショナル・デザインでいうと第二マシンエイジなんだと、カルポは指摘してくれました。

ーー『点・線・面』というタイトルは、画家・カンディンスキーの『点・線・面―抽象芸術の基礎』(1959年)のオマージュですが、本書の理論が整理されたのは、マリオ・カルポの指摘によるところが大きいのでしょうか。

隈:カルポの指摘で、自分の方法論を再確認できたところはあると思います。カンディンスキーについては、初めて読んだのは高校生の頃で、実は当時はつまらない本だと思っていました(笑)。無理に話を小難しくしている印象があって、ずっと本棚に置いたままでした。でも、この本を書くにあたって読み返してみたところ、面白く感じる部分がたくさんあった。中国の尖っている屋根は点であるとか、版画において木版と石版と金属版では時間の概念が違うとか。カルポの指摘の後に、カンディンスキーの本を読んで、書くことが固まっていった感じです。

ーー時間の話でいうと、本書では絵画におけるキュビズムの空間と時間についての理論に触れる箇所もあります。建築史家のギーディオンが、キュビズムの理論を建築に応用したことについては批判的に書かれていますが、自動車や飛行機が登場したことで、それまで体験したことのない速度での移動が誕生し「運動=時間」論が流行し、デザインなどにも表れていく。現在のコロナウイルス騒動は人々のグローバルな移動によってもたらされたものですよね。そう考えると移動について見直す動きが出てくるかもしれない。

隈:ギーディオンの『空間・時間・建築』は未だにモダニズム建築の聖書と言われていて、その理論の中心となっているのが、今言ったような「運動=時間」論なんですけれど、改めて読み返すと、これが驚くほどつまらなかった。「運動=時間」という概念自体がもはや退屈なものになっていると思います。移動し続けることが常態化していて、それゆえにすべてが止まっているのと同じようにも感じられる現代には、新しい時間の捉え方が必要なのかもしれません。移動なんて少しも驚くことではないし、そのままでは表現たりえない。現在の量子力学では、これまでのように移動を軸にして時間を捉えるのではなく、まったく別の形で時間を捉えなおそうとしています。だから僕は、物質がそこにあること自体がすでに時間であると考えます。例えば、物質が風化していくという時間もあれば、入れ子構造で変化していくような時間もある。観光地の建築でいえば、その場所に積み重なっていった時間が、その建築の中に入れ子状に立ち現れるようなものを作れないかと思っています。その場に積み重なった時間を体験するために、人々が訪れるような建築です。

ーー現在、人々がなかなか移動できない状況が続いています。どう感じていますか。

隈:1月からぜんぜん移動ができていなくて、体のリズムが変わってきたと感じています。時速何キロで移動するのが必要とか、そういう20世紀的な時間感覚ではなく、移動することそのものが自分の肉体にとって刺激のあることで、一種の健康術みたいなものだったのかなと。僕の場合、物を書くのはほぼ100%、飛行機とかで移動しているときで、その方がなぜか書きやすい。移動するスピードは関係なくて、移動している最中というのがポイントかもしれません。

ーー新幹線や飛行機だと、書き仕事が捗るという話はよくありますね。隈さんにとって、建築の仕事と書く仕事はどう関連しているのですか。

隈:それはすごくはっきりしています。建築の仕事のほとんどは、現場の工事のチームとの細々した打ち合わせか、クライアントのチームとビジネス的な打ち合わせで、極めて現実的な形而下的側面ばかりです。そして、そういう現場にずっと浸かっていると、自分が何をやっているのかが見えなくなってくる。そういうときに、自分の仕事を一つのシナリオに落とし込むようにして文章化すると、考えが整理されて、今やっていることの意味が見えてきて救われるのです。逆にいうと、僕の場合は書いていないとやっていられない。現場はそれぞれの極めて現実的な世界のリズムで動いていて、僕にとってはその間の飛行機での移動中だけが自由になれる時間だから、そこで書くのがタイミング的にベストなんだと思います。

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