戸田真琴が語る、“明るい諦め”の先にある希望 「愛に対する幻想に囚われなくて良い」

戸田真琴が語る、明るい諦め

「面倒だから思考停止」はダサいと思った

――“諦め“というと、多くの人にはネガティブな印象を持たれますが、“孤独“や”ありのまま“を受け入れるのには、大切な視点ですよね。

戸田:そうなんです。みんな同じである必要なんてないし、誰かのものさしで測られて、自分を捻じ曲げなくちゃいけないこともない。そもそも私と誰かは同じじゃないって明るく優しい“諦め“がついたら、そこから「違うはずなのに、ここが共通しているね」って仲良くなることができるキッカケになると思うんですよね。諦めて終わり(思考停止)ではなく、諦めから始められることがあると思うんです。

――本書でも「シーソーの反対側ばかりを選んでしまう人生でも」という表現がありましたが、みんなが当たり前と思っていたことに「そうだろうか」と一呼吸おいて見つめる冷静さは、幼いころからあったんですね。

戸田:周囲から否定されることが多かったからかもしれません。先ほどのランドセルもそうですが、みんなが揃って「いい」というものに、「やだ」って言う場面が少なくなくて。「そんなことを言ったら変な子って思われちゃうかもしれないよ」みたいなことをよく言われていました。でも、言われるがままに自分を変形させていくのは、何か違うような予感はずっとあったんです。そのときはうまく言葉にはなっていませんでしたが。相反する意見のどちらも見て、考えてから、自分はどうするか決めようっていう決意だけは頑なにありました。正直、そういう大きな流れに抗うのってすごく面倒なんですよね。でも、面倒だから「これでいいや」って放棄してしまうことには、拒絶反応があるというか、単純にダサいなと思って。自分の意志を通すにしても通さないにしても、自分の意志であることに責任が持ちたかったんですよ。それと、本当はずっと優しくなりたいって思ってて。

――優しく?

戸田:はい。おとなしいお姉ちゃんに比べて、私は末っ子で生意気だったので、「性格が悪くて、ワガママな子だな」って自分でも思っていて。でも、大きくなっても、ちっとも優しくなんてなれなくて。どうしたら人に優しくなれるのかなって、いつも考えていました。

――そうしたコンプレックスが、戸田さんの行動力につながっているんですね。作中の「さみしくなったら、ジェットコースター」という章にもあるように、一見すると思い切った行動に見えますが、1つひとつ克服しているという感じでしょうか。

戸田:そうかもしれません。もともと私は、臆病な人間だという自覚があって、怖いものをなくしていきたいと思っているんです。幼いころとは違って、大人になるにつれて周りの視線が気になるようにもなってきましたし、顔色を伺って自分の大事な感情を捻じ曲げないと生きていけないような気持ちになったりもしました。そんな臆病である自分を振り払うことが、人生の課題のように思えていたんです。怖くてあまりよく見ることができずに、モヤがかかっている世界があれば、1回見に行ってみるしかない。ダメかもと思ったときがチャンス……って奮い立たせていくうちに、一見突飛と思われそうな行動にも、出られるようになった気がします。みんな愛を欲しがるけれど、誰かに愛してもらう前に、まず自分自身を愛してあげられることが大事なんだろうなって、生きているうちに思えるようになったんです。「みんなと同じになりなさい」と言われた通りに自分を曲げていった末にできあがった平らな社会って、何なんだろうなって。だから、もしこの世界に私と同じように、なんとなくみんなと同じになれなくて生きにくいな、と思っている人がいたら、そういう人に言葉を届けることで私は少しだけ優しくなれるんじゃないかって思っています。

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