のび太たちが体現する男性学的なテーマとは? 『ドラえもん論』著者・杉田俊介インタビュー
男性学的なテーマが根っこにある
――ちなみに、杉田さんが批評の対象にする人や作品って、何か一貫したものがあるんでしょうか?
杉田:たぶん男性学的なテーマが根っこにあります。男として生まれたことの暴力性を何とか変えていこう、というか。良くも悪くも自己嫌悪があるから常に自分を更新していかなきゃいけないと思っているし、そういう葛藤を抱えた対象にも惹かれてしまう。宮崎駿にせよ長渕剛にせよ、もちろんのび太君も。『宇多田ヒカル論』は例外として、女性の作品をあまり論じられていないのもその辺が理由かもしれません。個人的には、いわゆるシスヘテロ男性はフェミニズムから率直に学ぶべきだが、フェミニストを安易に名乗るべきではない、と考えています。男性問題を自分たちの問題として引き受けてちゃんと考え続けないと、根本的に間違うんじゃないかと。
――あと、批評対象に憑依する瞬間がありますよね。『長渕剛論』では、ライブレポートの場面で一人称が「僕」から「俺」になったり。
杉田:のび太くんやドラえもんには割と感情移入というか、憑依して論じられるけど、ジャイ子は気高いものとしてちょっと遠いというか、むしろ対峙して学ぶべき対象だったんですよね。宇多田ヒカルさんも対峙すべき対象であり、憑依して共に苦しむ対象ではなかった。逆にいえばそれが僕の限界かもしれませんけど。いずれにせよ、ジャイ子も宇多田ヒカルも気高い。
――さきほど男性学やフェミズムの話が出ましたが、それを踏まえて『ドラえもん』を読むと、また違った奥行きが生まれそうですね。
杉田:『ドラえもん』はPC的な視点から批判されることがかなり多いですね。実際に『ドラえもん』は根本的にホモソーシャルな世界でもあります。けれども、たとえば「てんとう虫コミックス」45巻を通読していくと、作中には様々な変化がみられる。先ほどのジャイ子の話もそうですけれど、その辺はもう少し繊細に読み解いていいとは思います。
たとえばのび太君の特技は射的、あやとり、ひるねです。のび太君はつねに「男らしさ」の世界にも「女の子らしさ」の世界にもなじめずに、どちらからも弾かれてしまう。ある意味でジェンダー秩序を攪乱する存在とも言える。のみならず、生産性/無産の境界線も揺るがせている。勉強ができないだけではなく、眠ることそれ自体が特技だ、と言うんですから。男性学と同時に、障害学から読む『ドラえもん』というのもアリかもしれない。
たとえば原作のドラえもんは、人間の都合でのび太の面倒を押し付けられたケアロボットであり、一度は不良品として廃棄寸前でしたし、ネズミに耳を齧られて耳を失ったいわば「障害ロボット」なんですよね。このことは結構大きいと思う。しかもそれを当時のガールフレンドに嘲笑われて、トラウマを抱え、根深い女性恐怖のようなもの(その裏返しとしての過剰なほれっぽさ)を抱えてしまった。さらにドラえもんはよく「タヌキみたい」と笑われますが、それはロボット差別であり、かつ動物差別(スピーシズム)なのかもしれない。藤子F先生がそうした複雑なキャラクターとしてドラえもんを造形したこと、キャラクターたちを徹底して愛したことを考えるとき、たかだか数十年新しい時代に生まれた自分が、先生よりも人権や差別意識に敏感だとは全く思えません。
たぶん数十年もしないうちに、創作における障害者排除も、動物差別も、ロボット差別も、もっとずっとラディカルに批判されていくでしょう。これは皮肉ではなく、もっとそうなってほしいと思います。たとえばそもそも、ロボットに人間のケアを押し付けることがおかしいのかもしれないし、紅一点のみならず、障害者不在の世界観もおかしいのかもしれません。考えてみれば22世紀の未来が「人権」(人間の権利)だけですむとは思えない。そして同時に、世の中には複合差別があることを前提とするならば、「今を生きている人間のほうが差別に敏感で、昔の人間は差別に鈍感で疎かった」と簡単に言えるのかどうか、やはりそんなに簡単なことだとも僕には思えません。
――藤子・F・不二雄先生が亡くなったあとのドラえもん映画には、藤子先生の思想みたいなものって引き継がれていると思いますか?
杉田:もっとそうなってほしいとは思いますね。もちろん、藤子・F先生をそのまま真似すればいいという意味ではなく、後発者として先生の思想を受け止めて、批評的にアップデートすること、それがドラえもん映画を新しく作る人の使命だと思うんです。懐古厨と言われるかもしれないけど、藤子・F先生が作り続けたドラえもん映画は本当に神がかっていたので、当時を知らない若い人たちにもそのすごさを伝えていく義務もあるだろう、と本音でいえば思っています。
――繰り返しになりますが、その、「ドラえもんマインド」の要点ってなんでしょう?
杉田:人間の根本的な無力さとかダメさとか弱さを引き受けて、それでも悲観的になりすぎず、絶望しすぎず、かといって楽観的にもならず、ほんの少しでも状況を良くしようとしていく。そういう精神を若い人や子どもたち、未来に向けて継承し、託していく。そういう悲観とも楽観とも言えない楽天的なモードみたいなもの。それが『ドラえもん』ワールドの魂であり、ドラえもんマインドなんじゃないか。そんなふうに考えています。
■書籍情報
『ドラえもん論 ラジカルな「弱さ」の思想』
杉田俊介 著
価格:本体 2,150円+税
出版社:Pヴァイン
公式サイト:http://www.ele-king.net/books/007418/