葛西純自伝『狂猿』第6回 ボコボコにされて嬉し涙を流したデスマッチデビュー

葛西純自伝『狂猿』第6回 ボコボコにされて嬉し涙を流したデスマッチデビュー

デスマッチファイター葛西純自伝『狂猿』

K-1のリングで流血

 いま考えても、なんでそんなことになったのかわからないんだけど、松永さんがK-1で試合することになった。相手はグレート草津さんで、会場はなんと横浜アリーナ。その練習をするため、松永さんは何度か鴨居の道場に来ていた。伊東がボクシングで国体出てるから、打撃の練習相手になると思ったみたいで、グローブを嵌めてリングでスパーリングしていた姿を覚えている。その試合に、なぜだか俺っちもセコンドで呼ばれた。あとセコンド陣には小鹿さんと、関本、伊東。

 試合はゴングと同時に松永さんがグレート草津さんにボコられて、30秒くらいで小鹿さんがタオルを投げてTKO負けになった。俺っちはセコンドだから、試合が終わったらすぐにリングに上がって駆け寄ったんだけど、松永さんは錯乱していて、「勝手に試合を止めるな!」って、なぜか俺っちが喰らわされた。タオル投げたの小鹿さんなんだけど……と思ったけど、気づいたら俺っちはK-1のリングで流血してたんだ。この一件で、俺っちと松永さんに因縁ができて、大日本プロレスのリングで連戦が組まれることになった。結果的にいえば、この一連の抗争が葛西純というレスラーが飛躍するキッカケにはなったんだけど、その最終決着戦がなんと「ファイヤーデスマッチ」で行われることになった。


 場所は「秋葉原 昭和口通り前広場」の特設リング。当時の秋葉原は再開発の真っ只中で、巨大な空き地がいくつもあったから、そのひとつを会場に仕立てたという訳だ。とはいえ、大日本プロレスとしてはかなりのビッグマッチ。しかも、何が起こるかわからないファイヤーデスマッチだ。ファイヤーデスマッチは、何度も経験があるけど、難しい試合形式なんだよ。状況によって、こっちが思ってる以上に火が燃え盛る場合もあるし、逆に全然火が点かないときもある。風に煽られたら火の動きは読めないし、受け身の取りようがない。それに、このときはファイヤーがどうこうっていうよりも、キャリアまだ1年ちょっとの自分が、松永さん相手に、しかもシングルマッチでメインを務めるっていうプレッシャーの方が凄かった。

 さすがに緊張して、試合前は何日も前から寝られなかった。見かねた本間さんが声をかけてくれて、なにかアドバイスでもくれるのかと思ったら、「そんなもん、やるしかねえだろ!」って一喝されたよ。とにかく、その「やるしかねぇ」って気持ちで試合に挑んだけど、結果は惨敗。だけど、お客さんがめちゃくちゃ入ったことが嬉しかったし、デスマッチの熱というものを肌で感じることができた。

 これでしばらくファイヤーデスマッチはやらないと思ってたけど、この3カ月後に、さらに熱く狂った炎の海を経験することになるとは……。

CZW来襲

 ヤツらを初めて見たのは、画像の荒いビデオだった。

 大日本の道場に住んでる若手レスラーは、合同練習して、そのあとチャンコ食って、ちょっと昼寝するんだよ。その昼寝タイムにみんなでゴロゴロしてたら、事務所の人がきて「次のシリーズで『CZW』っていうアメリカの団体の選手が来るから、このプロモーションビデオを観ておいて」って言われた。どんな野郎が来るんだろうって、さっそくビデオをデッキに入れて、再生ボタンを押した。

 すると、道場にあった小さいテレビの画面に、いままでの日本のデスマッチの概念を覆すような映像が流れてきた。電動の草刈機で相手の腹をバチバチやる。巨大なステープラー(業務用ホチキス)で額にドル札をバッチンバッチン打ち付ける。カッターナイフで、腕や額を切り刻んでる映像もあった。血まみれのまま殴り合って、そのまま高い建物の屋根の上に登って真っ逆さまにダイブしたり…。

 とにかく、当時の俺たちからしてみても「え? こんなことやっちゃうの?」ってことを、バンバンやってるわけだよ。本間さんも一緒に見てたんだけど、「無理、無理! もうコイツらの相手は葛西に任せたから!」って顔をしかめていた。俺っちは、そのビデオを観ながら少なからずショックを受けていた。それは凶器の危なさとかヤバさに対してじゃなくて、自分がやりたいものにすごい近いなという衝撃だった。それまでの日本のデスマッチは、大仁田さんがやっているようなちょっとウェットなものだったり、松永さんやポーゴさんのような、オドロオドロしいイメージが主流だった。


 こう言っちゃなんだけど、洗練された感じがしなかったんだよ。でも、このCZWのレスラーたちはビジュアル的にもカッコいいし、バイオレンスなんだけど、どこかカラっとしてる。そこが新しかったし、パンクなものを感じた。それまでなんとなく考えていた、自分がやりたいスタイルに近いなって思ったんだ。数日後、実際にCZW勢が来日すると、最初は名古屋かどこかの体育館で試合が組まれた。俺っちと山川さんと本間さんで組んで、ニック・ゲージ、ジャスティス・ペイン、それと確かワイフビーターの6人タッグマッチ。リーダーのザンディグは、マネージャーとしての立場で、このときは試合はしなかった。

 初めて触れてみたCZWのレスラーたちの印象は……とにかく雑だった。俺っちもまだ新人だったし、それほど上手くもなかったけど、そんな自分からみても、奴らのプロレスはヘタクソだった。でも、その荒々しさが逆に新鮮だったし、お客さんにもウケていた。雑だけど、とにかく勢いはあったし、何をするかわからない所が魅力だった。

 そんなCZWのヤバさが発揮されたのが、2000年8月6日に決行されたファイヤーデスマッチだ。場所はまた秋葉原の空き地の特設リング。俺っちは松永さんとタッグを組んで、CZWのザンディグ&ニック・ゲージと対戦するというカードだった。

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